短編「かれらの風貌」(11の2)

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オッキーはわが家に十五年いた。

上の息子がまだ中学生のとき、雑木林から拾ってきたオス犬で、

生後六ヶ月くらいは野良暮らしをしていたと思われるから、年齢は十六歳にちかく、

人間でいえば八十をいくつも超えたといえるだろう。

ただし後脚と視力が衰えたほかは、歯はほとんど残っていたし、まだまだ元気で、

食欲が落ちたということもなかった。

 オッキーとは変わった名だが、名付け親になった息子によれば、どこかのロックバンドの名前

だとか聞いた。

 拾ってきて幾日かは、息子たちの部屋に隠し、父親の私に知らせないでいたのは、

どうせ犬を飼うことに反対するにちがいないと彼らも妻も考えたからだ。
 
 下の息子がこんどは生後まもないメスの子犬を、通学路ぞいのどこからかもらってきた。

妻と息子たちは一匹目とおなじ既成事実化する作戦をとって、これもはじめは私の眼から隠して

飼っていた。

 犬たちの成長は早いから、すぐ成犬となり、そのうちメス犬の不妊手術をしてやらねばと話し

合っていた矢先、子犬が産まれてしまった。

生まれた三匹のうち一匹は死産、一匹は知人にもらわれていき、一匹がわが家に残った。

そうして狭い庭に三つの犬舎が並んだ。

 オッキーの十五年はとりたてていう事件もなく平穏に過ぎたが、飼い主たちの身の上には

さまざまなことがあった。

 そして成人した息子たちは家を出て行って、あとには私たち夫婦が三頭の犬たちと残ることになった。

 たまに上の息子が家に戻ってきたりすると、オッキーの態度が一変する。

私には一度だって見せたことがない喜び方を全身で表す。はねまわり、じゃれつき、

甘えた声をあげるから、見ていて嫉妬を覚えるほどだった。

 オッキーは家族の誰が自分を愛してくれたか、ようく判っていた。

一番が息子であり、二番が妻であり、そして三番目はいなかった。

彼は自分を愛してくれるものにだけ、愛情をもって応えた。

 息子がまたいなくなると、もとの無関心の態度にもどり、身動きも緩慢なもうろくした老犬となった。

 そもそも、私とは彼がわが家にやってきた当初から、ウマが合わなかったようである。

 たとえば、私が彼を散歩につれ出したとする。

彼は野良暮らしの習性が身についていたせいか、自分が行きたい方角にしか歩こうとはしない。

まっすぐに歩こうとしない。家々の生け垣に首をつっこむ。

あやしげな物を拾い食いする。肥料臭い畑の土を狂ったように掘り返す。

 私がまっすぐ歩かせようとヒモをひっぱると、彼は前脚をつっぱって抵抗し、動こうとしない。


こちらもムキになって力をいれて引っ張ると、ようやく抵抗をあきらめて、いやいやながら歩き出す。

 老いてますますオッキーのかたくなな性格はきわだってきた。いよいよ無愛想になる。

後脚の衰弱とともに歩く距離は短くなり、近くの小公園へ行くのにも、たびたび路上に腰を落として

しまい歩かなくなった。彼にとって、私との散歩は楽しいものではなかっただろう。

 それが妻が散歩につれて出るとなると、彼の弱った脚でも一時間も歩いてくるのだから、

私とウマが合わないことを立証していた。

 放浪癖をもったまま年老いたオッキーが、身勝手に門扉から抜け出して、呆けかけた頭脳で道に迷い、

元の場所に戻れなくなったのなら、半分の責任は彼自身にある。
   
 あるいは動物の本能で、自分の死期を悟ったかして、死に場所をさがして姿を消した、

ということも考えられるではないか。

 どちらにしろ、オッキーがこのまま見つからなかったとしても、

かわいそうだが仕方のないことだ、と私は考えていた。


                ―(3)へつづく―