高野文子

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たまたま、八重洲古書館でギャグマンガの親分いしかわじゅんの「至福の町」という本を買って

読んでいたら、自伝風なギャグ作品「吉祥寺気分」の中に、ごらんの高野文子さんの「恐ろしげ」

な顔が出現したので、UPした。

いしかわじゅんはNHKBSで「BSマンガ夜話」に夏目漱石の孫であるマンガ評論家夏目房之介

ともにレギュラー出演していた論客だったから、彼のマンガを一度読んでみたかった。

「吉祥寺気分」は1980年に描かれた作で、いしかわじゅんが憑依されるのを恐れるくらい

「暗い」イメージがあった高野文子をからかって登場させている。

仲間内では、高野文子さんは「暗い」といわれていたのだろう。

つぎの写真は彼女が手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞したときのものらしい。すると2002年の

ものということになる。やっぱり「暗い」(?)印象があるかな?

いしかわじゅんの『至福の町』が出版されたのは1980年で、奇想天外社という小出版社から

だった。

数年してその会社は倒産している。

「奇想天外」というSF雑誌があり、2~3の出版社を転々として発行されていたのだが、その

姉妹紙として「マンガ奇想天外」という季刊的な雑誌があった。

その創刊号(1980年4月)には、いしかわじゅん高野文子両人の名前がある。


杉浦は別格として、ほかのマンガ家は若手である。

新潟から上京して看護師になっていた高野さんはマンガ家になろうと作品を投稿していた。

その1980年に、彼女は『絶対安全カ剃刀』に収めた「田辺のつる」「アネサとオジ」

「あぜみちロードにセクシーねえちゃん」「うらがえしの黒い猫」などなどを描いている。

「マンガ奇想天外」2号は1980年7月に発行され、いしかわじゅん高野文子のほかに

手塚治虫松本零士吾妻ひでお萩尾望都の名がある。山岸凉子のインタビュー記事もある。

上記の「うらがえしの黒い猫」などは、あきらかに萩尾望都の影響がみられる。

このようにして、若手のマンガ家(ニューウエーブと称された)たちからの影響もうけながら

高野文子さんはマンガ家としてウデを磨いていった。

まもなく彼女はフリー編集者秋山協一郎と世帯をもち、秋山氏が発行人となった「奇譚社」の

電話番をしながら「おともだち」を描くのである。

そして「おともだち」は最初ご亭主が発行人となって「奇譚社」から出版された。