高野文子『棒がいっぽん』(4)

イメージ 1


この本のタイトルは「奥村さんのお茄子」の中に使われた《棒がいっぽんあったとさ》という

なつかしい絵描き歌からとられたもの。

わらべうた、替え歌、数え歌、などは全国で歌われているうちに、少しずつ歌詞が変容するもので、

この《棒がいっぽんあったとさ》も地方で違いはあるらしい。

それはともかくとして、「棒がいっぽんあったとさ、はっぱかな、はっぱじゃないよ、かえるだよ、

かえるじゃないよ、あひるだよ、六月六日に雨ざーざー、三角定規にひびいって……」

と歌いながらノートにコックさんを描いた記憶がある。

明治時代からこの絵描き歌はあったそうだから、子供たちに人気があったということだ。

「奥村さんのお茄子」はこの本に収録された「東京コロボックル」とおなじような非現実的なお話

で、後者が手のひらサイズのコビトたちの話であり、前者は異星人のお話なのである。

           ――――――――――――――――――――

1993年のある日、電気店を営む奥村さんのところを一人の見知らぬ女がおとずれると、

「1968年の6月6日のお昼になにを食べましたか」といきなり訊ねる。

女は人間ではないらしい。彼らはなんの目的があるのやら、200年、100年あるいは30年たって

効果を発する毒物開発をしており、30年モノを茄子に仕込んで人間に食べさせる実験をしたらしい。

さいわいなことに奥村さんは毒茄子を食べていなかったのだが…

だれにでもあった、平凡な遠い過去の一日。

その日のお昼に何を食べたか。

その日は、どこで何をしていたか。

その日は戸外に誰が遊んでいたか。窓の外を走り抜けたのはどこの商店のトラックだったか。

そばの郵便ポストに手紙を投函しようとしていたのは誰だったのか。

あの日の午後。

なんでもない過去の一日をビデオテープの解析によって異星人の女が甦らせる。

ナンセンスマンガといっていいのだろうが。

ここに高野文子さんの繊細な感性の「小世界」がある。

無意味なほど平凡に過ぎていった人間の一日を、その日の午後の光景を、いとしいものとして

回復させる。

時間という捕らえようのないものを、捕らえてみせる。

25年前の6月6日の午後をとらえてみせる。

「6月6日に雨ざーざー、三角定規にひびいって、おまめを三つくださいな、あんぱん二つくださいな、

こっぺぱん二つくださいな、あっというまに、あっというまに、かわいいコックさん」