川喜多かしこ生誕100年展

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昨日京橋にある、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の“生誕100年 川喜多かしこ展”
を見てきました。
わくわく亭の仕事場から徒歩で2分の、ご近所にある映画の国立美術館です。

そもそもこの展示をしているフィルムセンターそのものも川喜多かしこさんの骨折りによって設立した
ものです。それまで日本には映画フィルムを蒐集して、分類、保存し、上映するという公的な機関がなかったのです。

わくわく亭が少年期、学生時代に見たヨーロッパから輸入された名画という名画は、川喜多長政、かしこ夫妻の東和商事映画部(のちの東和映画)が輸入してきて配給した映画ばかりでした。

東和=川喜多かしこさんが輸入してきた傑作映画のタイトルを、ほんのいくつか並べてみるだけでも、
ヨーロッパ映画と日本人を結びつけた彼女の功績のほどが分かろうというものです。

これらすべて、7~9月までフィルムセンターで上映されているものです。

嘆きの天使
自由を我等に
制服の処女
会議は踊る
にんじん
未完成交響曲
民族の祭典 オリンピア
天井桟敷の人々
巴里の空の下セーヌは流れる
第三の男
禁じられた遊び
三文オペラ
悪魔のような女
リチャード三世
わが青春のマリアンヌ
居酒屋
リラの門
眼には眼を
尼僧ヨアンナ

川喜多かしこ(1908~93)の仕事の多くは国際映画祭を舞台に外国映画を買い付け、輸入配給
することと、日本映画を内外に紹介することだった。
黒沢明監督の「羅生門」を1950年、ベネチア国際映画祭にもちこんで、金獅子賞をとらせたのも
川喜多夫妻だった。いわば、黒沢を世界に売り出したのは彼らだったのだ。

朝日新聞がこの展示について記事を書いているが、そのなかで、戦後占領軍の一員として来日した
映画評論家のドナルド・リチー氏が1948年に川喜多かしこさんに会い、彼女を「日本映画大使」
と名づけたことを紹介している。

そしてリチー氏が彼女を評価した言葉を引用している。

イランもスリランカもいい映画がたくさんあるが、彼女のような存在がいなかった。
西洋以外で例外的に日本が映画史に大きな地位を占めているのは、彼女のおかげだ。

海外で日本映画が上映されるほとんどの場に、「マダム・カワキタ」と呼ばれて崇拝された
紫の着物姿の彼女がいた。20を超す国際映画祭で審査員をつとめた。

さて、はなやかな世界各国の映画人と交流した川喜多かしこさんの写真を、いくつかごらんに
いれましょう。

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黒沢明ジョン・フォードにはさまれたマダム・カワキタ(1957,ロンドン)
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ジェラール・フィリップ夫妻と尾上梅幸(1953,東京)
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ナタリー・ドロン、アンリ・ラングロワ、三船敏郎アラン・ドロン(1974,パリ)