桐野夏生の『放浪記』評

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今、若者に小林多喜二の『蟹工船』が読まれている。生活格差の矛盾を、一個人の
能力の問題ではなくて、社会構造、階級的な矛盾からもたらされた問題だと主張した、
プロレタリア文学の代表作だった。

蟹工船』が読まれるのであれば、林芙美子の『放浪記』も受け入れられるだろう。いや、ぜひ
読んでもらいたい、と朝日新聞のコラム「たいせつな本」でそう書いたのは作家の桐野夏生さんだ。


わくわく亭がいま女流では、2人の作家に注目しているが、その2人とは、小川洋子さんと桐野夏生
さんだ。


桐野さんは格差が歪めた日本の社会問題を、視点を弱者である女性と若者たちに据えて、

かれらがさらに底辺へとの追い込まれつつある現実を克明に描いた小説をつづけざまに発表している。

彼女の『OUT』『グロテスク』はエンタテーメントの領域にとどまらない力作である。

その桐野さんだけに、『放浪記』を最底辺でも意気軒昂に生きる女の「職業小説」であるという。

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何も持たない若い女が都会に出てきて、最底辺の暮らしを生きる。蓄えなどないから、文字通りの
その日暮らし。一日休めば、宿をなくし、飢えと向き合わねばならない。崖のふちを歩くような
危うい生活である。
(略)
しかし、芙美子は、マッチの燃えさしで眉を描き、木賃宿から出撃するのである。
へこたれることがあっても、意気は軒昂だった。
(略)
自身もアンパンを売って日銭を稼いだという。本書(『放浪記』)は、生まれついての放浪者、
林芙美子の、実は職業小説でもあるのだから。

『放浪記』が若い女性達に、岡崎京子のコミックスを愛読する若い女性達に、ぜひ読んでもらいたい。
きっと、なにくそ、こんな現実がなにさ、という気がしてくるだろうよ。