『百日紅』(10)離魂病

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 エピソード其の20が「離魂病」です。

 女房とつぎつぎ別れる映画スターの「離婚病」ではないよ。

 人体から魂が抜け出すという病気です。


 真夏の話である。

 吉原の小夜衣という花魁(おいらん)のからだから、明け方になると、幽体が離脱して、ろくろっ首のように空中を飛び回る。

 その実際の様子を見たいものと、北斎は花魁にたのみこんで、となりの座敷から「離魂」のありまさをみるという怪奇談です。

 話はシンプルですが、杉浦日向子さんの絵が、頭から白い幽体がでてくる場面など、じつにユニークで面白い。

 首は飛び回るが、夏のこととて、蚊帳がつってあるから、蚊帳の中で狂い回るばかりでした。

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 杉浦さんは岡本綺堂のファンであります。

 江戸のことを書く作家で、岡本綺堂のファンでも読んだことがない、という人がいたら、まず信用しないほうがいい。

 綺堂の『半七捕物帖』は日本の捕物帖のサキガケでありルーツでもあり、傑作というもおこがましくて、その後無数に書かれたいかなる捕物帖も、『半七』を超えることができないくらいの本物の「傑作」なのです。

 綺堂はまた江戸から明治にかけてのすぐれた怪奇談をたくさん書き残しているし、中国の怪奇談の紹介者でもありました。

 岡本綺堂の本の解説を杉浦さんが書いているが、その中で、こんなことを書いて綺堂への傾倒をあきらかにしています。

 とても、いい文章で、わくわく亭は好きなのです。


 《なんのために生まれて来たのだろう。そんなことを詮索するほど人間はえらくない。

  300年も生きれば、すこしはものが解ってくるのだろうけれど、解らせると都合が悪いのか、

  天命は、100年を越えぬよう設定されているらしい。なんのためでもいい。

  とりあえず生まれて来たから、いまの生があり、そのうちの死がある。それだけのことだ。

  綺堂の江戸を読むと、いつもそう思う》


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 なぜ岡本綺堂を引き合いに出したかというと、「離魂病」という怪異談が綺堂の『近代異妖篇』にはあ

って、杉浦さんは、あきらかに、タイトルを綺堂からもらってきたと思われるからです。


 また、『中国怪奇小説集』には「離魂病」という中国の怪奇談があり、綺堂の上のタイトルも
元は中国の古い話から貰ってきたものらしい。

 おなじ『中国怪奇小説集』には「首の飛ぶ女」があって、吉原の花魁の首が飛び回る話のルーツは、あんがいここにあるのかもしれないな、と僕は思うのです。

 それほど、杉浦さんは、岡本綺堂を好きで読み込んでいたに違いないのです。


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 綺堂の「離魂病」は光文社文庫『白髪鬼』で読むことができます。『中国怪奇小説集』も光文社文庫
にあります。