『百日紅』(9)渓斎英泉

イメージ 1

イメージ 2

 前回(8)では主人公の池田善次郎を、現代の女性ファンであれば、「かわい~い」と呼ぶであろう「ぜんちゃん」として紹介したわけだが、浮世絵師渓斎英泉(けいさいえいせん)としての側面も、ついでに書き加えておくとしよう。

 英泉は1790~1848年の人で、明治維新の1868まで、あと20年という江戸末期に活躍した超人気の絵師でした。
 北斎は1849年まで、つまり若い英泉より一年長く生きたのですが、さすがの北斎も晩年を迎えて、絵師としての人気は衰えていました。


 江戸の美人画の人気は、歌麿と栄之の時代のあとは、国貞と英泉の時代になりました。

 かわい~い「ぜんちゃん」は、渓斎英泉として、美人画のNO.1の人気を誇っていたのです。

 美人画、そして当然のことながら、枕絵(春画)をたくさん画きました。UPした画像は、別に代表作というのでもなくて、手近にあったからというだけの理由でつかいました。
 顔の描き方の特徴がよくでています。

 英泉の略伝については「驚異の美術館」で「片岡球子(5)」を見てください。


     ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 杉浦日向子さんは、自分がこしらえた「池田善次郎」というキャラクターが、渓斎英泉として画いていた美人画をどのように評価していたのだろうか。

 それを、ついでに紹介しよう。
 『うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた江戸』(筑摩書房2006年)から引用。



歌麿は、喜怒哀楽のはっきりとした豊かな表情を描いていましたが、(英泉)のは、神経質でヒステリックな感じの美女です。
 体型が非常にアンバランスです。
 頭が五頭身になっていて、胴長短足です。
 女は胴長のほうが抱きよいという言い方がされ、胴長が褒められています。
 猪首で猫背、胸が平板で落ち込んでいます。

 歌麿であれだけ豊満だった胸が貧弱に落ち込んで、わずかに鳩胸である、といったぐらいの貧弱なバストになっています。
 手足は、干物のように硬い不格好な形に描かれていて、まるでたくあんのような感じがします》


 わくわく亭は、英泉の美人画は好きではないのです。やっぱり、(平凡だけど)歌麿だよね。

 英泉の、どこがいいのだろう。
 杉浦日向子さんの説明を、もうすこし聞きます。


《コンプレックスの塊のような体形であり、顔立ちなのですが、これを持って生まれた個性的な魅力として、ほかの人が持ち得ない魅力として評価し出すのが、世紀末の退廃期にある価値観の逆転ということなのです》


 なるほど、そうか。
 しかし、杉浦さん、あなたは英泉と歌麿と、どっちが好きですか。

 そうでしょうとも。

 歌麿ですよね。お栄ちゃんだって、歌麿のような美男美女を画いています。

 幕末の動乱期より、円熟期の江戸が好きでしょう?

 そうでしょう、そうでしょう。

 どうやら、杉浦日向子さんの好みと、わくわく亭の好みは一致しましたよ。


             『百日紅』(10)へつづく