『二つ枕』杉浦日向子

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 2005年7月杉浦日向子さんは46歳という若さで、惜しまれながら亡くなった。ガンだったと聞く。04年11月に、ガン再手術を受けた後、翌年の1月、たったひとりで南太平洋クルーズの旅にたった。その6ヶ月後には帰らぬ旅へと発たれた。

 その生前に筑摩書房から『杉浦日向子全集』全8巻が刊行されたことは、せめてもの幸いだった。

 僕は『全集』を買いそろえてはいるが、彼女の作品を読み始めたのは、「ちくま文庫」からでした。
 『合葬』『ゑひもせす』『ニッポニア・ニッポン』そして『二つ枕』。
 『百物語』『百日紅』は全集で読んでいる。

 さて、こんどの直木賞を受賞した松井今朝子さんの『吉原手引草』の評判が高い。

 わくわく亭は松井さんの作品はまだ読んだことがないのですが、なんでも江戸言葉には誰にもヒケをとらぬほど精通していると、受賞後の記者会見でおっしゃっているそうです。

 江戸吉原を舞台に小説を書こうと決めてから、ありとあらゆる「洒落本」「黄表紙」「人情本」のたぐいは読み尽くしたそうだ。そうして江戸弁、吉原の「里言葉」を学んだそうで、「いま、江戸へ行っても、なんら不自由なく、江戸人と会話ができます」と大層な自信だったとか。

 直木賞の選考委員達もまた、その江戸言葉、廓の里言葉の練達ぶりに圧倒されたらしく、口をそろえて授賞理由の第一に、その点をあげていたらしい。

 それを聞いたときに、わくわく亭は、すぐにこう考えた。

「選考委員のみなさんがた、松井さんの江戸言葉に圧倒されるのは、杉浦日向子さんのマンガを読んでからにしてくださいよ」とね。


               ◇   ◇   ◇

 
 『二つ枕』が描かれたのは、作者23歳のときです。その早熟の才能に驚きます。

 絵や物語の力量に驚くのではないのです。普通の才能がある23歳のマンガ家なら、なんなく描くでしょう。
 わくわく亭が「早熟」といったのは、江戸の洒落本の世界への耽溺(つまりハマるということ)の程度が23歳の若年とは到底おもえない、年期の入り方だったからです。

 わくわく亭も江戸の文人の伝記小説を(もちろん、こちらはただの遊びですがね)書いたりするときには、洒落本は読みます。洒落本は吉原や岡場所の状景と人間模様を、微に入り細をうがって描写しているし、当時の「話し言葉」を知る最良のテキストだからです。(上にのべた、松井今朝子さんのケースは、われわれの何倍も勉強なさっているということです)

 とうぜん、杉浦日向子さんも洒落本で吉原について勉強なさった。とくに山東京伝を先生にして。

 彼女は日大芸術学部を中退して、歴史家の稲垣史生さんについて時代考証を学びつつ、洒落本の世界をマンガに描きはじめた。
 彼女の「ウカツなしあわせ」というエッセイで、こんなことをいっている。

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    桜の頃、京伝の『傾城買四十八手』に出会ってしまった。のめりこんだ。
    (略)
    一字一字を惜しむように、時間が止まるのを祈るように頁をくって。
    次々と洒落本を読んだ。何編か読んで、再び『傾城買四十八手』を
    読みたくなった。
    ふと、気が付くと、桜はとうに終わっていた。
    (略)
    本の中で、しかも、二百年も前の本の中で、気の合う仲間に会ってしまうとは
    思わなかった。驚いた。

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 こうして、彼女は江戸に引っ越して行った。朝になったら、住み着いた江戸から現代に通勤は
 してきたが、夜には江戸のすみかに戻っていった。
 
 そこは吉原の中か、大門のそばだったに違いない。 
 でなかったら、23歳で『二つ枕』が描けるものではないのです。

 洒落本の作家NO.1は山東京伝です。

 日向子さんが「のめりこんだ」という『傾城買四十八手』は京伝の洒落本の中ではNo.1とはいえませんが、(No.1は『通言総籬』(つうげんそうまがき)になるから)まちがいなく代表作の一つです。

 4組の客と遊女の手練手管のかけひきを、ほとんど会話体で書いたものだが、『二つ枕』も4組の
客と遊女を、遊女の部屋の中での会話場面だけで描いて、にくらしいほど小粋な4話に仕上げている。

 舞台設定は京伝の『傾城買』によく似てはいるものの、もちろん杉浦日向子のオリジナルです。

 これは杉浦日向子さんの『日向子版 傾城買四十八手』なのですよ。

 客とあいかたの遊女との会話を楽しむマンガだから、少年マンガしか読んだことのない読者は、きっと
面食らうことだろう。

 しかし、ほんのすこし辛抱して読み進むと、じんわりと面白さが分かってくる。江戸弁と遊女の里言葉のヤリトリ、くぜつ。そして色っぽい描写。
 いや、じつに、たまんないねー。

 これを23歳のうら若き杉浦日向子さんが描いたとは。彼女、どこか天才っぽいとろがあったでしょう。きっと、そうだ。 

 

                   (2)につづきます。