池波正太郎さんの年賀状

 五月の下旬にもなって、年賀状の話でもないでしょうが、
亡くなって15年になる作家の池波正太郎さんのことで、
いい話を思い出したものだから。

 『鬼平犯科帳』『剣客商売』などで今も人気のおとろえない
池波さんですが、命日は5月3日でした。
いい話というのは、朝日新聞天声人語でいつか読んだものですが、
それは池上さんの衰えない人気の秘密の一端を物語っているように
おもうのです。

 池上さんが出す年賀状の枚数は、晩年には6000枚だった。
その枚数にも驚きますが、すべて手書きだったというから、
さらにびっくりです。
印刷でもインクジェットプリンター製でもなく、手書きです。

 もちろん十二月に入ってから書くのでは間に合いません。
毎年1月から12月まで、毎日のように書いていたと奥様の証言です。
計算では一ヶ月に500枚、一日15枚書いたことになります。
忙しい作家にとって、そんな年賀状書きは、余分な労力のようにみえます。

 なぜ、そこまでするか。「だれでもが手書きのものを喜ぶし、
わたしからの年賀状をみんなが毎年待っていてくれるから」と、
さも当然なことと、池波さんは話したそうです。

 それを知人や読者を大切にしたプロの作家魂と説明するだけでは、
まだ不足でしょう。人気において、池波さんに匹敵した作家は
幾人もいましたが、そこまでして年賀状を書いた作家の例を、
他に聞いたことはありません。

 若い頃は兜町で株式仲買店で働いて、いちど獲得したお客をたいせつに
する方法を身につけたことと、新国劇歌舞伎座で脚本、台本を書きつつ、
劇団や役者がいかに、ひいきの客を大切にして、
自分たちの人気をまもるため日々努力をしているかを、
よく見ていたからだと、僕は思うのです。
 
 役者さんたちは、ごひいきに、なにかあれば挨拶状を出し、
年賀状を出し、ファンのつどいには顔を出したりと、
縁を深める努力を怠りません。
 池波さんの年賀状にはそんなファンサービスを怠らない、
演劇界にも通ずるプロ魂を見る思いがします。
 
 そこが、並の人気作家と違うところだと、僕はおもうのです。

 作家が亡くなったのは五月のことで、翌年分の年賀状は、
一月から、かなりの枚数がすでに書かれていたことでしょう。
それはどうなったのでしょう。

 天声人語には、奥様のこんな話のつづきがあります。
そんなに早々と翌年分の年賀状を書いておいて、もし病気でもして、
あなたが亡くなったら、どうします。無駄になってしまいますよ。
そう奥様が訊いたことがあったそうです。
 
 池波さんの返事はこうでした。

 おれが死んでも書き上げた年賀状は、そのまま出してくれ。
みんなが池波正太郎からの年賀状を待っていてくれるのだから。

 さすが。池波正太郎さん。
その心意気があなたの作品に色濃くにじんでいます。

 だから、あなたのファンはいつまでも、
あなたのファンなのです。


 きのうの日曜日、僕わくわく亭は、ケーブルテレビで「藤枝梅安
鬼平犯科帳スペシャル」を見ながら、上記の話を思い出していました。