72歳だった。早世する
横綱が多い中で、
大鵬の享年72は、
横綱としては長寿だった。
72歳、それはわくわく亭の年齢でもある。
新聞が「
大鵬の時代」と年表を載せているが、いまさらながら、それはわくわく亭が生きてきた
昭和という時代の歴史年表なのだ。
そうだった、そうだったと、年表を眺めながら、ひとしお感慨深いものがある。
そんな当たり前のことに、いまさらながら合点をするのも、おかしなことだが。
誰もが知っている
納谷幸喜少年が戦後
樺太から母とともに北海道へ引き揚げてきてから
角界入門までの苦労話である。
ウクライナ人の父親とは戦中に離別していたから、母は3人の子を
つれて帰り、苦労をした。
わくわく亭の母も、3人の男の子をつれて、戦火の大阪から
尾道へと
疎開して、戦後苦労しながら、
3人の子を育てた。
そうした歴史は、日本人の家族にとって、とてもよく似ているだろう。
納谷幸喜少年が育った北海道の町では、記念館に記帳所がもうけられて、若々しい
大鵬の
写真が飾られている。
われわれは昭和の時代の子だった。