中橋稲荷をさがして

「中橋稲荷の由来」という100枚ばかりの小説を書いた。

まだ発表誌はきまっていない。在庫である。

弘化元年というから西暦では1844年、いまから168年前に、現在の新宿2丁目にある

太宗寺門前町の空き地に、高さ四尺の柱の上に、高さ七寸、横幅六寸五分ほどの小さなお宮がのせられ

て、柱には中橋稲荷神と記された祠が建てられた。

それが現存しているかどうか、探索に行ってきた。

太宗寺は地下鉄丸ノ内線新宿御苑前駅から徒歩1分。

駅前を走っているのは新宿通りで、江戸時代には内藤新宿という宿場町があったところ。

内藤の名は、信州高遠藩の内藤家の中屋敷があったことに由来するが、その内藤家の菩提寺

太宗寺だった。境内の奥には墓地があって、そこには内藤家代々の墓がある。

太宗寺の「閻魔像」は当時から有名だった。

写真は「閻魔殿」

イメージ 1



戸切絵図でしらべると、太宗寺の敷地はかなり広く、内藤新宿の往来(新宿通り)から、

表番衆町の往来(現在の靖国通り)までを占めている。

太宗寺敷地の東端にはりついたように、南北に伸びているのが太宗寺門前町であり、その細長い町域

のどこかに、簡素な中橋稲荷の祠が建てられたということになる。

わくわく亭は、いまはマンションや商業ビルや店舗が建ち並ぶ、その一郭を,表通りから裏道まで

隈無く探索してまわった。

結論、168年前に建てられた中橋稲荷は現存しない、その痕跡すら発見できなかった。

写真左側が太宗寺の敷地であり、右側の家並みが門前町跡になる。

イメージ 2


さいごに太宗寺境内で,まだ新しい「稲荷社」を見つけたが、中橋稲荷と関係があるとは思えない。

イメージ 3


では、中橋稲荷とは何なのか、それを(2)に書こう。