ひっくりかえった恋川春町

太宗寺周辺に中橋稲荷をさがすため新宿二丁目に行ってきた。

地下鉄丸ノ内線新宿御苑前で下りて、地上へ出たら目の前に太宗寺はあった。

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中橋稲荷のことについては、また稿をあらためて書くことにして、

ここでは恋川春町の墓のことを書く。

新宿通りから御苑駅前通りを北へ進むと靖国通りへ出る。

これを左折すると二つの寺の前に出る。

手前にあるのが正受院。

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その隣が成覚寺である。

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ここに江戸の戯作者で、狂歌師としては酒上不埒(さけのうえのふらち)の名でも知られる

恋川春町の墓があるので、ちょっとお参りしてみようと立ち寄ったのである。

春町は戯作者の号で、本名は倉橋格(くらはし いたる)という小島藩士だった。

黄表紙金々先生栄花夢」の人気作者に仲間入りし、狂歌では大田南畝と親交をもった。

だが松平定信による寛政の改革のとき、「鸚鵡返文武二道」{おうむがえしぶんぶのふたみち)が

定信の「文武奨励」をからかったと咎められ、隠居をしたのち急死した。

自殺説がいわれた人物である。

成覚寺はこじんまりした寺で、石の門を入って直ぐ左手に、黒い「新宿区指定史跡」の標識が見えた。

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そこに墓石があるが、標識の前にある墓石は、なんたることか,仰向けにひっくりかえっている。

これが春町の墓だろうか。

倒れてかなりの時がたっているように見うけられた。ことによると、去年3月11日の

東日本大震災の時にでも転倒して、そのままになっているのでは。

その右にもよく似た、おそらく同じ倉橋家の人のものらしい墓石が、こちらは無事にたっている。

どちらも、苔や腐敗した落ち葉がこびりついて、細い線で彫られた文字は、まったく読み取れない。

あきらめて写真だけ撮る。

ひっくりかえった墓石もまた、酒上不埒の春町には似つかわしいのかもしれない。

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