ヤマザキマリとは何者なのか

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ミヤコさんから借りていたコミック『テルマエ・ロマエ』の1~4巻のうち、1巻を読んでみて、

なんだこれは、という面白さにびっくりさせられた。

古代ローマ時代の浴場設計技師が、作業中に水中で意識不明になるたびに、なぜか現代日本の銭湯や

庭の湯船、湯治場などにタイムスリップする。世界文明の最高峰に位置する誇り高い

古代ローマ人が、平たい顔をした、ローマ属国の奴隷たちかとみえる(日本)庶民が、

おどろくべき高度なアイデアに満ちた入浴生活をしているのを見る。

ローマで意識を回復した主人公が、日本からまなんだアイデアをローマ浴場設計に応用して、

つぎつぎと成功する。

そのアイデアというのが、銭湯の脱衣カゴであったり、温泉玉子であったり、銭湯の壁に

書かれたペンキ絵だったりするから、じつに楽しい。

そうした、日本を外側から見た異文化のおかしさを、はるかなる古代ローマ時代と21世紀日本

を結んで、古代ローマ文化のただならない深い蘊蓄を傾けて描くマンガなのである。

全国書店員の選ぶマンガ大賞2010、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞作品である。



まだわくわく亭は1巻を読んだばかりなのだが、この作者はただものではない、と思った。

そのローマ史やローマ風呂の穿った知識が、ただ熱心に図書館で読んだ文献から得たものとは違って、

「実感」に裏打ちされているように思われたからで、ヤマザキマリとはどんな作者なのだろう、

と作者への興味が強まった。

ウィキペディアに簡単な履歴があるが、1967年4月生まれの45歳。

『ミッションスクールに通っていた14歳の時、ドイツとフランスを一人旅する。

その時に出会ったイタリア人の陶芸家に招かれて17歳で渡伊、フィレンツェの美術学校で油絵を

学びながら11年間過ごす。フィレンツェにおける留学生活は貧困を極めるものだったと本人の

ブログに書かれており、漫画を描き始めたのも生活費を稼ぐためであった。(略)

上記のイタリア人陶芸家の孫と結婚し、中東やイタリアでの暮らしを経てポルトガルに暮らしていたが、

その後は夫の赴任先であるシカゴに転居している』


やはり、ただものではなさそうだ。

だって、14歳の少女時代にドイツ、フランスを一人旅、だよ。



もっと作者について詳しく書かれたものはないかと思った矢先、今日の朝日新聞

ヤマザキマリさんの初エッセー『望遠ニッポン見聞録』出版にちなんだインタビュー記事が

載った。

全国の『テルマエ・ロマエ』ファンのために、その記事から、作者のユニークな経歴を一部

引用して紹介する。

写真も朝日新聞から。



 ヤマザキは17歳で、油絵を学ぶためにイタリアに渡った。14歳で欧州を一人旅した時に出会った

イタリア人の「マルコじいさん」に誘われたのが縁だった。

 美術学校に通ううちに詩人と恋に落ち、10年にわたる同棲を始める。待っていたのは、

電気水道もたびたび止まる極貧生活。一方、当時、日本はバブル。観光客やブランド品の

買い付け業者など、幸せそうな日本人が大挙してやってきた。

 すかんぴんの身で眺めていると、「心地よさと拒絶が一体化した」と振り返る。

妊娠して、このままではダメだと、詩人と別れ、手に職をつけようとマンガを描き始める。

いったん日本に帰ったが、数年すると、また海外生活が始まる。

 旅行でイタリアを訪れ、マルコじいさんの孫と意気投合し、結婚したのだ。研究者の夫の

仕事に合わせ、息子も一緒に、シリア、ポルトガルを経て、今は米国シカゴに暮らす。

 エッセーでも、シリアの女性下着事情、早朝からジム通いする米国の老人など、

各国の風俗が活写される。でも、最も書きたかったのは、異国暮らしだからこそ分かった、

「悪いも、良いもひっくるめた日本人の面白さ」だ。

 『テルマエ』は、そんな海外生活のたまもの、と言えよう。古代ローマおたくの夫から知識を

もらい、情け深いポルトガルのお年寄りに、古き良き日本が重なり合った。何よりも、

「お風呂に入れないので、絵を描いて疑似体験しているんです」

                              (記事:宮本茂頼さん)