神の島久高島へ渡る(1)

11月2日、晴、ときどき小雨。

午前11時にアキナが孫たちと車で迎えにくる。

途中のショッピング・モールにあるレストランで昼食。

ここでアキナは働いたことがあるそうで、店長から女店員たちが皆顔見知りだから、

入れ替わり立ち替わり、双子の顔を見にやってきた。

料理は大サービスだった。

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本島南部にある安座真(あざま)港からフェリーで、車もろとも久高島(くだかじま)へ渡る。

有名な神の島、かつてはイザイホーが営まれた聖なる島、久高島である。

島影は安座真港からよく見える。フェリーでおよそ25分の航海。荒い波だった。

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徳仁港に着岸。

まわりは珊瑚岩である。

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東西に細長い島で、全長はおよそ3キロほどしかない。

平成17年の時点で、人口は295人、世帯数は127。宿泊施設は5つあるが、収容能力は

合計して85人。医師は1名。学校は1校で、小学生24人と中学生21人がいる。

車で数分、細い道をくねくね進むと、久高殿(くだかでん)、外間殿(ふかまでん)、

そして大里家の前に出た。

解説書によると、

琉球王朝の時代、首里王府は「ノロ制度」をしき、祭祀をとりしきる女性聖職者を任命した。

当時、久高島にはムトゥと呼ばれる始祖家が2つあり、東西を縦に二分し西が久高、

東が外間を中心に家が集まっていたので、司祭者を外間ノロ、準司祭者を久高ノロとした。

この久高殿、外間殿はそれぞれのノロが出た家で、それ以後島の祭祀の主祭場となっている』

久高殿の前は広場になっており、かつてのイザイホーはここでとりおこなわれた。

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大里家。

首里城から尚徳王が来島したとき、当家の美人クニチャサ祝女ノロ)に惚れて、長く同棲していた

場所で、王が首里城を忘れているうちに、城では革命が起こり王朝は転覆してしまう。それを

漁師からから聞いて、王は海に身を投げて死んだと伝えられる大里家である。

YOUTUBEでC、W、ニコルさんが久高島の真栄田苗さんにインタビューして、

ニライナカイについて聞いている画像が見られるが、どうやら、その場所は

この大里家の縁側のようである。

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