尾道の渡船(とせん)

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 写真は昭和28年のものです。
 
 小型車を押し込もうとしていますが、当時車をのせるケースはまれでした。尾道向島との間を通う渡船(フェリー)は4,5ヶ所ありました。船の形はおなじではありませんが、写真のものが代表的な船型でした。


 僕の小説「尾道船場かいわい」は昭和31年から36年までの物語です。

 主人公の男女は高校一年で知り合い、おたがいに惹かれあって、ふたりの恋愛感情は深まっていくのですが、20歳になった年に、恋の終わりを経験します。
 
 彼女の家は、尾道対岸の向島にあるために、通学にも、彼に逢うときにも、尾道に来るには渡し船でやってきます。ふたりが恋の想いにつつまれているときも、さいごの別れのときにも、尾道向島とを往来する渡し船と渡船場(とせんば)とが、欠かせぬ舞台装置になりました。

 いま、2つの場面を、作品から抜き出してみることにします。

 〈……彼女の家の灯が見えたが、私たちはその灯の反対の方へ歩き、また戻り、また通りすぎた。
 「自転車にのせて」美紀子がいった。
  荷台の片側の足がゆるんで不安定だったが、かまわず彼女を乗せて走った。彼女の両手が私の腰にし がみついた。彼女の息が、髪が私の首筋に触れて離れない。
  もう道もはっきりとは見えなくて、果樹園の樹々も黒々と溶けあって、かたまりになって見えた。
  家まで送って行った私を、自分の部屋へ通して、火鉢で餅を焼いてくれた。着物をきて、母の形見の 羽織をはおってみせた。
  帰る私を渡船場まで、懐中電灯を持って送ってくれた。船の客は私ひとりだった。
  暗い水道を渡って、浄土寺下のがんぎに着いた……〉

 いまひとつ。

 〈……美紀子と約束した時間に浄土寺の山門へ行った。いつものように対岸の向島から渡ってくる渡船 が着岸するのを眺めながら、その客の一人が長い石段を登ってくるのを待った。
  しかし約束の時間を二時間過ぎても彼女はこなかった。
 (略)
  美紀子に会わずに行くことになるのかと考えていたころ、8月26日の夜、文芸部で二年後輩の女生 徒が美紀子からの手紙を届けにきた……〉

 〈自分の心が自分でなくなったいま〉〈永久に〉〈さようなら〉と書いてあった。思春期の初恋のはじめと終わりは、どれもよくにています。

 今、尾道大橋尾道側と向島とを結んでいますが、渡船もかわることなく利用されています。  
   

 おのふみとさんの尾道サイトをごらんください。
 http://homepage2.nifty.com/ONO_MICHI/