津波の後―高宮檀さんを悼む

『姫路文学』から寄稿を求められて、今日はこの文を書いた。(2000字)

5月10日締め切りの124号に、小説「富士見橋の理髪店」とともに発表する。



                津波の後―高宮檀さんを悼む

 平成二十三年三月十一日に東日本大震災が起きた。日本史を千年遡ってみても、いつのどの記録をも凌

駕する巨大な大津波が青森から千葉県までの沿海部を襲い、人と物を破壊し尽くした。

その日東京も震度五の地震があって、交通機関が停止したために、三百五十万人が帰宅困難となり、

首都圏は大混乱となった。

 二日後十三日の日曜日、午後の二時半頃、高宮さんから電話があった。

地震被害の有無を訊ねてから、二十九日に彼がプロデュースする音楽会への誘いがあった。

チラシとチケットを送ると言うことで待っていたが届かない。

会場が立川の市民ホールということだったので、計画停電地区だから音楽会は延期になったのだろうくら

いに考えていた。

 事実は、電話をくれた日曜日の午後、自宅近くの路上に倒れていた彼を近所の人が見つけ、救急車で病

院に運ばれたが、翌十四日早朝亡くなったということだった。

死因は心筋梗塞だったと聞いている。

 いつもの彼の磊落で明るい話し声が、まだ私の耳の奥に残っているから、

彼の唐突な死が信じ切れない。まるで、三陸海岸へ取材旅行にでも行った友人が、滞在先の旅館で津波

さらわれたと聞かされたような、信じられない驚きと、空虚な喪失感を覚えている。


 今回の地震津波の被災地の一つ岩手県は高宮さんには所縁(ゆかり)がある。

少年時代を岩手県で過ごした経験があった。

彼の著書『密封された聖地(ぢば)―天理教一方井事件』は岩手県岩手郡一方井で昭和初期に起きた連続殺

人事件を、冤罪ではないかと裁判資料を分析し、現地を調査するノンフィクションの労作だった。

一方井は盛岡市から北三十キロほどの町であるが、彼の岩手県での生活経験が、この著作では生きてい

る。

 この本で思い出されるのは、映画化の話があったことだ。

彼の自宅へ映画化を検討したいと電話してきたのは映画監督の高橋伴明(たかはしばんめい)氏で、

「本を読んでみたのですが、映画にしても面白いと思って。仲間とすこし相談してみて、三十日ほどした

ら、またご連絡します」と高橋監督は彼の自宅の電話番号を高宮さんに伝えた。

高橋監督といえば、ポルノ映画で出発してポルノの大御所とも呼ばれていたが、代表作は関根恵子主演で

撮った『TATTOO[刺青]あり』や連合赤軍事件を材にとった『光の雨』がある。

そして監督夫人は女優の高橋恵子関根恵子)さんである。

 監督の電話から三十日以上も日が経ったから高宮さんは高橋家に電話をした。

電話には高橋恵子さんが出た。

「監督から彼女はわたしの本のことを聞いているそうで、すぐわたしが何者か分かってくれました。

すごく落ち着いた話し方をする女性でしたよ」と彼は私に夫人の印象を語った。

「なんど電話したの」と私は訊いた。

「二回です。二回とも高橋さんは留守で、恵子さんに用件の言伝をたのんでおいたのですが」

「いっそ、住まいまで訪ねて行ったらどうだね。関根恵子さんに会いにさ」

「いや、そこまではどうも」

「行くのなら、僕も一緒に行ってもいいよ」

 その後、高宮さんから「高橋恵子さんの家にいきましょう」という誘いはなかったし、映画化の話は立

ち消えた。

 なにかそんな賑やかな話題が彼のまわりにはいつもあった。

安藤昇の安藤組で元幹部だった一人と知り合って取材するとか、家が近かった山田風太郎氏の死後、

風太郎忌」を催す提案を未亡人にするとか、昭和史研究会桜ヶ丘を主催して、

色々な事件の関係者を講師に招くとか、アングラ活動するロック・グループを集めたロック・フェスティ

バルを開いて全共闘世代のロックPANTAを招くとか、ついには定期的に音楽会を催すことまで始め

た。

プロデューサーとしての才能があったのだろう。思いつくと、さっさと躊躇うことなく実行にうつす行動

力と度胸があった。

 『芥川龍之介の愛した女性』は『密封された聖地』と同じ彩流社から平成十八年に発行されたノンフィ

クションだが、取材に彼の持ち前の行動力が発揮された傑作だった。

 岩波書店から刊行中の『新・日本文壇史』(川西政明著)の第一巻「芥川龍之介の恋」の章で、

高宮作品が取り上げられて、長文の引用がなされているらしい。

岩波の編集から事前に了解をもとめられており、発行後には一冊が高宮さんに贈呈された。

それだけの優れた仕事だった。

 最近では上野寛永寺の寺侍の生活を中心にした歴史小説を執筆中だと聞いていたが、

未完に終わることとなった。

 今またテレビで北陸地方津波の映像を見ながら、七歳下の畏友の短命を惜しみつつ、私は

深い寂寥感におそわれている。

 合掌