松本大洋の『ピンポン』

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コミックの単行本としては、小学館から1996~97年に5巻で発売された。

わくわく亭が買ったのは、駅の南口にあるコミックス古書店で、5巻そろいで3000円だった。

発行から14~5年経っている。

いつもの通り、遅れてくる読者なのである。

映画化されたことは知っている。観てはいないのだが、主演が当時売れに売れていた

若手俳優窪塚洋介が主演していたのも知っていた。ただどんな映画なのかは、なにも

知らなかった。おそらく「スポコン」ものだろうくらいに考えていた。

スポコンと呼ばれるジャンルは、好きではなかった。


窪塚くんが自宅マンションから跳び出して、奇跡的に死をまぬがれた事故があった。

なんとなくエキセントリックな演技をする俳優だと感じていたから、結婚したばかりの

若い妻と赤ん坊がいたのに、食事していて突如駆けだして、ベランダから外へ飛び出した

という報道を聞いて、窪塚くんは、まるで映像に見る劇中の役そのものに

エキセントリックな性質の持ち主なのだろうか、という印象が残った。

こんど、『ピンポン』を読んでいて、よくぞ映画監督は主演の少年「ペコ」役に窪塚くんを

選んだものだと感心した。

ペコは窪塚洋介くんしかやれないキャラクターなのだ。


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ずばり、ペコが橋から川に飛び込んだシーンがあった。

ピンポンをする天然の才能に恵まれたペコが、はじめて「天然」だけでは勝てない相手が

いくらでもいることに気づいて、どうするべきか、もがき苦しむときに、

「目をつぶってラケット振りゃ、ソコに球が当たりに来たもんだ。空だって飛べたんだ。

月にタッチして帰って来るぐれえ、わけなかったぜ」とゲーセンでの遊び仲間に、以前の

自分を自慢して、「飛べる」証明に、橋から川へとドボンと落ちる。


これを読んだとき、窪塚くんも「飛べる」ことを実証したかったのではないだろうか、と思った。

『ピンポン』は決して「スポコン」マンガじゃないことが、1巻の読み始めで明らかだった。

多数の登場人物たちによる心理劇であり、人それぞれが持っている才能の可能性と限界を

考えさせるから、スポコンだけでは破れない現実の壁を発見して、そこから先をどう生きるか

という実存的な人間劇を松本大洋は冷徹な目で描いている。


中心となる主人公はペコとスマイルの2人。

藤沢市の高校生で、町の卓球場での遊び仲間。

スマイルは秀才タイプ。指導者の目に留まって、めきめきと上達して、頂点が見えてくる。

ペコは「天然」の才能で恐いモノ知らず。自分がどうしても勝てない相手がいるとわかって、

どん底に落ちる。

このペコのキャラクターが『ピンポン』の魅力でもある。

自信家で空想家で、破天荒でヤンチャ。その少年っぽい話し方がいい。

挫折に苦しんだ後で、立ち直りの早さも、君子豹変、それもまた、「天然」である。

ラストはすべてのライバルを倒したスマイルとペコに、なんという劇的な対決か。

才能の主人公となって行くペコ。

自分の限界をみとめて、教師の道へとすすむスマイル。


ここで面白いのは、スマイルが自分が迷ったり弱気になったときに、かならず現れて

力を貸してくれるヒーローの存在を信じていることだ。

スマイルのペコへの友情の中に、知らず知らずペコを心の支えにしてヒーローとして

像を結んでいたことだ。

こども同士の遊び仲間には、かならずそんなヒーローがいるものだ。

ペコもいつしかスマイルが自分をヒーローとして頼りにしていることに気づく。

そうして、ラストの対決では、ペコはスマイルのヒーローとなるため

力が爆発したのだろう。スマイルはそとにヒーローをもとめるから、限界をみたのだ。

ペコは自分の才能の主人公となって、世界へと旅立っていく。

いかにして自分の能力や才能の主人公になれるか、それができれば「空だって飛べる」と

松本大洋は信じているらしい。


いまひとつ、気がついたことは、ペコでもスマイルでも、彼らの親兄弟のことは一切

描かれないことだ。少年達が主人公でありながら、かれらの家庭環境がどんなか、

両親はいるのか、兄弟姉妹はいるのか、親の職業は?一切触れてこない。

松本大洋は少年であろうとも、真剣勝負の武闘家として描いている。

武闘そのものを描こうという意志が強くはたらいている。

目の前につねに激闘が展開しているのに、かれらの家庭を描いて遠回りしている余裕など無い、

といいたげである。



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ペコ。高1のくせに、やたらとタバコを吸う。


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松本大洋の絵は強い線で、躍動感があり、「激闘」を描くのを得意としている。

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マンガ評論家のいしかわじゅん氏は、その著書『漫画の時間』の中で、1993年の

松本大洋の作品「青い春」を論じ、その描線の強さに注目して、

「あの時代は、この線でなくては描けない、そんな気すらしてしまうほど力強い線だ。

松本大洋には、身内から溢れてくる違和感がある。自分の内に覗く異形のものに対する、

松本自身の恐怖と、統御する自信が見えるのだ。それがおそらく、ぼくらを惹きつける」

というが、その異形のものは『ピンポン』では比較的おとなしくしている。


しかし、最近作の『竹光侍』全8巻には、その異形のものが全開している。

次回、それを紹介する。