放射能雨という亡霊

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福島原発事故によって、忘れかけていた言葉「放射能雨」が、亡霊のように新聞紙上に

蘇っている。

昭和29年3月に第五福竜丸被爆事件が起きた。

南太平洋のマーシャル諸島近海でマグロ漁をしていて、ビキニ環礁で行われた

アメリカの水爆実験による放射性物質によって核被爆した。

焼津港の戻った遠洋マグロ漁船の船員たちは全員が被爆していたが、なかでも

機関長の久保山愛吉さんの症状は重篤で、6ヶ月後に亡くなった。

アメリカの核実験が洋上で行われるたびに、日本列島には放射能を帯びた雨

すなわち「放射能雨」が降った。


戦後、米ソの冷戦時代、核開発の競争となり、アメリカは太平洋上で、ソ連はシベリアなどの

陸上で核実験を続けた。

そのあと何日かすると、風向きによって、放射能雨が日本に降った。

雨にぬれると、頭髪が抜け落ちるといわれて、子供たちは雨をこわがったものだ。


いま、あの言葉、「放射能雨」がよみがえった。

しかも、遠い南太平洋ではなく、福島の原発がまきちらす放射性物質が原因である。


わくわく亭の下の息子が小学生の頃、もう20数年以前になるが、

社会科の校外学習の時間に、子供達に付き添って、バスにのって江東区夢の島公園に、

永久保存されている第五福竜丸を見学に行ったことを思い出す。


首都圏から青森までの東日本地域の子供達は、また学校で「放射能雨」に対する

対策を指導されることだろう。

放射能雨」という亡霊は、これからも原子力発電があるかぎり、くりかえし

立ち現れてくるのだろうか。