放射能雨という亡霊
蘇っている。
焼津港の戻った遠洋マグロ漁船の船員たちは全員が被爆していたが、なかでも
機関長の久保山愛吉さんの症状は重篤で、6ヶ月後に亡くなった。
すなわち「放射能雨」が降った。
陸上で核実験を続けた。
そのあと何日かすると、風向きによって、放射能雨が日本に降った。
雨にぬれると、頭髪が抜け落ちるといわれて、子供たちは雨をこわがったものだ。
いま、あの言葉、「放射能雨」がよみがえった。
わくわく亭の下の息子が小学生の頃、もう20数年以前になるが、
永久保存されている第五福竜丸を見学に行ったことを思い出す。
首都圏から青森までの東日本地域の子供達は、また学校で「放射能雨」に対する
対策を指導されることだろう。
立ち現れてくるのだろうか。