ムスリム同胞団とは何か?(1)

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写真の人物の名前はハサン・アル・バンナー(1906-1949)といいます。

エジプトのスエズ運河に臨むイスマーイーリーヤという町の小学校の教師でした。

彼が1928年にムスリム同胞団を創立しました。


このたびのエジプトの市民蜂起によってムバラク大統領は失脚しました。

さかんにムスリム同胞団の名前が出てきました。アメリカやイギリスはエジプトの

新政権に同胞団の影響力が大きくなって、イランのようなイスラム教国になることを

警戒しています。


しかし、ムスリム同胞団とは、どんな団体なのか、あまり日本では知られていません。

アルカイーダのようなテロ集団ではないのか、アフガンやパキスタンタリバーンのような

過激なイスラム原理主義ではないのか、と疑われています。


尾道物語』のような、平和な社会を基盤に持つ日本の風景をバックにした小説を書いている

わくわく亭ですが、かねてよりイスラム社会の歴史には関心がありました。

ほんの少しですが、ムスリム同胞団について、いくつかの本を読んでいますので、

どんな団体なのか、短く紹介することにします。


ムスリム同胞団の創設者が小学校の教師だったバンナーです。

イランの最高指導者だったホメイニさんのような宗教者ではないのです。

「3師」と呼ばれる医師、弁護士、教師が同胞団の中核となっているのでも分かるように

宗教団体というよりイスラム倫理規範をもとにした理想の社会、国家を創ろうとする

インテリの集団といえるでしょう。

しかし、過去にはイギリス支配からの独立運動にからんだテロ事件を起こし、

さまざまに弾圧を受けてきましたから、激しい抵抗運動もあり、

イスラム急進派、過激派とよばれた歴史もあります。

創設者のバンナーにしても、1949年2月白昼、政府の刺客によって暗殺されているのです。



バンナーが活動を始めた動機は、エジプトがイギリスの支配下にあり、スエズ運河がイギリスの

支配下にある現実に強いショックを受けて、コーランに「アッラーは、人間の力で自分の

状態を変えないかぎり、決してある民族の有様を変えたりなさらない」という原理主義の立場から、

変革を自分たちの力で勝ち取る行動を開始します。

それが同胞団の創立であり、設立からわずか6年の1934年には官吏、学生、商店主、農民、

などに浸透してエジプト全土に50の支部を持つ大組織になります。

反英運動の立場から同胞団とエジプト軍の内部にあった自由将校団が連携するようになり、

バンナーとサダトが手を結びます。

サダトは後にナセルのつぎの大統領になりますが、「アル・ジハード」に所属する

軍将校達に暗殺されます。

暗殺者はムスリム同胞団とは別の組織ですが、よく混同されます。


同胞団は1945年ころからイギリス支配からの独立運動をすすめ、イギリス人、親英的な

エジプト要人にテロを開始します。

幕末の日本における「尊皇攘夷」運動を思わせます。

1948年、カイロ警察長官が同胞団の学生によって暗殺されます。

スクラシ首相はただちに同胞団を非合法化するのですが、

おなじ48年末にスクラシ首相が、またしても同胞団の学生によって暗殺されます。

政府による同胞団の激しい弾圧が行われ、翌49年2月にはバンナーが政府の刺客の手によって

白昼殺害されるのです。

ナセル、サダトムバラク大統領の支配下にあって、非合法化、地下活動、またふたたび

政治活動、そしてまたもや非合法化、などと波乱にみちた長い抵抗の歴史があるのです。


                (2)へつづく