「八百長は無い」故に「懲罰規定ナシ」
いまは定年退職をして、本名の内田勝男さんに戻っている。
内田さんは事件に激怒していた。
金銭授受がからむような、勝ち星をやりとりするような相撲は、大相撲にはあるはずがない、
だから、八百長などを禁止するとか、やったものへの懲罰とかの規定はつくられていない、
ないものについての禁止や懲罰規定はつくることができない。
といった認識を述べながら、激怒していた。
おもしろい論理である。
無気力な相撲はある。だから場所中、監察役が取り組みを見ておき、無気力相撲が
あれば、しかるべき会で協議をして規定に則り、懲罰を科す。
その規定は40年前につくられたそうだが、一度も懲罰を科せられた例はないのだそうだ。
外界のマスコミが使っている言葉であって、相撲界には存在しない行為なのだから、
その言葉も存在しない。
そもそも存在しない行為なのだから、それを禁止するとか、行えば懲罰にかけるという
規約は作りようがない、という。
なんという性善説。
江戸時代のある寺院で、すべての僧侶は清僧であるから女犯の罪をおかすはずがない。
だから女犯の罪に対する懲罰規定は無い、と言っているのと同じ論理である。
マスコミ、週刊誌や引退した元力士達が八百長があったと言おうと書こうと、
相撲界には存在しないことを、部外者がいくら騒ごうと、存在しないものは存在しない
と協会は一蹴してきた。
そこに嫌いなニンジンがあっても、目をそむけた子供は、見えていないから無いという。
無いものを食べることはできないという。
日本相撲協会の論理は、そんな子供のニンジンの論理なのだ。
外を見ないで内側だけを見ている存在論なのだ。
勝負事には八百長がつきまとう。
日本相撲協会も外側に目を開いて、ありうべきことにたいする方策、規定を整備
すべきである。
海外からやってくる力士がこれだけ多くなったいま、
「禁止」事項がないなら、禁止されていない、と解釈する力士がでてきても
おかしくはない。禁止すべき行為は、明確に禁止規定と罰則を明記すべきだろう。