池内さんの衿足のホクロ
損をしたと思われる。ぱっとしない喜劇俳優だった柳沢真一氏と結婚したこともマイナスだった。
短期間で離婚して映画に復帰するが、新東宝は経営不振で、出演作には恵まれず、
やがて会社は倒産してしまう。
系列会社の東宝へ移籍して、ようやく主演女優の役がつくようになり、人気女優の
道がひらける。映画、テレビで、そのさっぱりとしたお色気が人気をあつめた。
30代の後半から40代の後半までの、円熟していく女性の魅力を池内淳子さんは見せて
くれました。
評判だったテレビの「よろめきドラマ」も、視聴率が毎回20%あったという「女と味噌汁」
のシリーズは見たことがないのですが、50代をすぎても、着物がよく似合う、
そのさりげないお色気を感じさせる「いい女」の女優さんでした。
丸谷才一さんがエッセイ集『星のあひびき』に書いている。
「ねえ、ものは試しだから二ヶ月だけ同棲しよう」とか「一年でもいいぞ」と口説き、
もちろん上手にいなされた。
その後、和服の池内が銀座のバーで、誰かに後ろから抱きすくめられ、衿足のところにある小さな ほくろにキスされた。しきりにあらがって、振替ると、吉行だったさうである。
さらにその後、池内が出る芝居があって、池内の役の亡夫の写真が飾ってあるという場面が
あった。舞台稽古のときに飾ってある写真が池内に気にいらない。
どんな写真がいいのかと訊かれると、雑誌で見た吉行淳之介さんの写真のようなの、と
彼女は答えた。
舞台関係者は雑誌に問い合わせ、ついで吉行のところへ頼みに行った。
もちろん吉行は快諾した。芝居がはじまると、亡夫が煙草をすってゐて、顔に煙が かかってゐるその写真は、未亡人である池内淳子の部屋にかかってゐて、ぴたりと 決まってゐたさうである。
その当然の質問に、丸谷さんはかく答える。
とすると?と読者は色めき立つかもしれないが、しかしそのへんはあまり 詮索しないのが大人のたしなみといふもの。余韻を残しませう。
かれらのようなのを「才子佳人」というのだろう。
その才子である吉行淳之介さんは1994年に70歳で亡くなっている。
佳人の池内淳子さんは、生前どこかに芝居で用いた吉行さんの遺影を飾っていただろうか。
ああ、そうか。
いまは、池内さんの遺影が、どこかの誰かに飾られているのだろう。