女房の「永ちゃーん」コール
きのう、女房は一人で日本武道館へ出かけた。
7時開演だが、5時の開場に合わせて出かける。
コンサートのTシャツや、タオルを買ったりするからだとか。
彼女には矢沢永吉のコンサートははじめてだった。
息子から、
「呼気がアルコール臭いと、入場を断られるから、行く前にアルコールは禁止のこと」
と注意されていた。
たくさんの係員が、入場者一人一人の吐く息を嗅いで、チェックする。
酔って入場して、場内で興奮すると、トラブルを起こす者がいるから、その予防措置なのだ。
手荷物も徹底的に検査する。危険物はもちろん、カメラ撮影は禁止。
彼女のチケットはS席で、中央の前から4列目だった。
「永ちゃんの顔がよく見えた」と、良い席だったらしい。
7時に開演。
いきなり開場全員が立ち上がり、そのままおよそ2時間半、ほとんど着席しない。
スローな曲のときにだけ、4~5曲、そのときは座る。
腰を左右に2~3度ツイストさせて、右手を突き上げて、
「永ちゃ~ん」コールを送る。
「YAZAWA]ネーム入りのタオルをふりまわして、
「永ちゃ~ん」と雄叫びをあげる。
年代は20代から60代まで、男が多いが、彼らの身なりも、ヘアスタイルも「永ちゃん」
スタイルである。
息子の話では、矢沢ファンには、長距離トラック便のドライバイーのような
きつい仕事をしながら、一本立ちを夢見る男達が圧倒的に多いとか。
リーゼントヘアで、白い長いマフラーをしている者もいる。
歩き方から、声の出し方まで、「ヤザワ」っぽい。
顔つきまでも、矢沢永吉にそっくりなファンが何十、何百人もいる。
ラスベガスのプレスリーイベントに、エルヴィスそっくりのファンが大勢集うようなもの。
場内の興奮が最高潮に達するのは、アンコールタイムに入る頃。
およそ20~30分がそれにあてられて、ファンにサービスされる。
女房の周囲には、60代、つまり還暦を過ぎた矢沢永吉と同じ世代であり、若い
コックンローラー時代の矢沢永吉のころから、ずっとファンと思われるオヤジさんたちが
いるが、太ったりしてとても長時間立ちっぱなしは無理だろうと見える者も、
だれひとり座ろうとしない。
女性達はさすがに高齢者は少なくて、比較的若い。
銀座や六本木でホステスをしているかと思われる、チャイナドレスや派手なドレスを着た
「お姉さん」たちも、タオルを振って、
「永ちゃ~ん」と会場のコールに雷同して、白い腕を突き上げる。
女房が言うのである。
「かっこいいのよ。白いシャツが汗でぬれて、筋肉が浮き出すと、鍛えられたナイスボディー
なの。セクシーなのよね。節制して努力して、自分で曲をつくっている。なんて、かっこいい
生き方をしているんだろう」
「舞台が徹底してかっこいいの。バンドが超一流の音をだすし、バックコーラスが外国人を
そろえて豪華なのよ。資本がかかっているのがわかる」
「ときどき自分の生き方について、多弁じゃけど話すのね。あなたみたいな広島ナマリでね。
不安一杯で広島から東京にでてきたころ、なかなか認めてもらえなくて、ああしろ、こうしろ、
そうしなければモノにはならない、とさんざん言われたけど、やりたくないことはやらない、
やりたいことだけをやってきた。みんなも、やりたいことをやりぬいて欲しい。
やりたくないことを、頭をさげながら、自分をだましだましやることはないぜ。
やりたいことを、やってくれ」
と矢沢流のメーッセージが送られると、嵐のような共感の声が爆発する。
すべての男達が、女達までが、その時に「矢沢永吉」になる。
魔法がかけられているのだ。
女房は終演の9時半すぎには開場をでたが、会場にはいっこうに帰る気配のない数千人の
ファンがいた。かれらは、どこかへ移動して、乾ききったのどにビールを注ぎ、酒を入れ、
夜が明けるまで、「ヤザワ」の魔法にひたっているのだろう。
わが女房は大泉学園の駅前まで帰ってきて、駅前のレストランで一人で
ビールを飲みながら「魔法」の味を反芻してきたということである。
そして、いわく。
「来年も行く。ぜったいに行く」