普天間宮へ宮参り

イメージ 1


11月28日(日)は、午前中にミウとミクをつれて、初のお宮参りに宜野湾市にある

普天間宮へ行く。


普天間宮は世界一危険な空軍基地といわれている米軍普天間基地の隣接地にある。

普天間基地辺野古地区への移転問題が、民主党への政権交代によって、鳩山首相

県外への移設を提唱したことで、沖縄県民の期待に火がついた。それが瓦礫のごとく

崩れてしまったから、県民の怒りのマグマが爆発した。

今日28日が、沖縄県知事選挙の日である。

沖縄は琉球国から明治政府の版図に入れられてより、いいしれぬ差別に苦しんできたが、

沖縄戦の犠牲の上に、さらに戦後は米軍の支配下に置かれ、本土復帰が実現した後は

基地の島の状態に放置されてきた。

優遇交付金という名目で、金で不満を黙らせようと政府はしているが、もうそんな手では

県民が爆発させた怒りのマグマはおさまらない。



普天間宮には石の鳥居がある。少し風変わりな狛犬があるが、狛犬ではなくて、

シーサーなのだろう。社殿が真新しいのは平成16年に建て替えが行われたからである。

普天満宮には深い鍾乳洞があって、その洞窟内に琉球古神道神を祀ったのが、

普天間宮の始まりとされている。

拝殿のそばに立つ「由来」を読むと、琉球古神道の神々とは、日の神、普天間女神(グジン神)、

そして竜宮神(ニライカナイ神)の三柱である。

琉球神話の神々である。そこに琉球国王が15世紀の中頃に、日本の熊野権現を合祀したと

記されている。



普天間宮は波上宮金武宮天久宮、沖宮、謝名宮、末吉宮安里八幡宮とともに琉球八社

ひとつとされているが、ほかの7社の縁起由来をしらべてみると、琉球国王が15世紀の中頃

琉球の神とともに熊野権現を合祀したと普天間宮とほぼ似た由来になっている。


そもそも琉球(沖縄)が日本の版図に加えられたのは、正式には明治維新後である。

明治政府はノロやユタといった女性シャーマンを中心とした御嶽(ウタキ)の信仰を

改めさせて、鳥居も拝殿、神殿もない拝所に、鳥居をもつような神殿をつくらせた。



それは沖縄人を日本神話と深くつながった皇室を崇拝する文化に「同化」させる「皇民化政策」

のひとつだったようだ。



熊野権現とは日本の創世神話の神12柱のことで、いざなみのみこと、はやたまをのみこと、

あまてらすおほみことなどが、この普天間宮にも祀られている。



だから、西暦1400年代の中葉に、ほんとにうに琉球八社がそろいもそろって、熊野権現

合祀したという神社の由来には、眉唾物を、疑い深い人間であるわくわく亭は感じてしまう。



さらに、明治期から昭和初期にかけて、ノロやユタは「邪教を流布する」不届き者の扱いを

したようであり、戦時中はシャーマンたちの祈祷行為を禁止させ、みつければ検挙

したりしたとのことだ。



そうした歴史を振り返ると、沖縄にある神社が琉球古来の信仰と、日本本土の神道との

ぶつかりあい、あるいは妥協といった文化形成の流れを考えることになる。


イメージ 2



普天間宮の待合所には、普天間女神の神話が絵屏風にして飾られている。

それは日本の古民話「つるの恩返し」を連想するような海難にまつわる至純な乙女のものがたりである。

天照大神伊弉冉尊伊弉諾尊古事記の神話より、このほうが無理なく沖縄の信仰につながって

いるように思うのである。


お宮参りの次は、

ランチタイムである。

ジュンのお気に入りのタコスの店「メキシコ」へ行く。

もちろんタコスの本場はメキシコ。メキシコのごくごく一般的な家庭料理であり、

われわれのお好み焼きやギョーザのようなお手軽な食べ物。

タコス一皿4コで500円。おいしかった。

沖縄では、タコス味の「タコライス」が人気。

イメージ 3


食後は美ら海水族館へ向かう。