コザのカーニバル

11月27日は、わくわく亭夫婦とダイスケの3人で、沖縄市コザの国際カーニバルを見に行った。

27日(土曜日)と28日(日曜日)の二日間の催しで、パレードの会場は「コザゲート通り」

だった。

ジュンの車で送ってもらったのが、午後の2時だった。カーニバルの開始時間は2時からと配られる

チラシにも印刷されていたが、まだ準備中だった。にぎやかになるのは、5時以降らしく、

翌日の日曜日がやはり本番らしい。

コザゲート通りを歩いていくと、米軍嘉手納基地のゲートにつきあたる。

そうか、それで「コザゲート通り」の名前なのだ。

広い道の両側に並ぶ商店の看板は英語であり、ここが基地の「門前町」だとわかる。

夜になれば、お客の多くは基地のアメリカ兵やその関係者たちなのだろう、酒場の入り口には

日本語で「日本人のお客さんも歓迎します」という断り書きがみえる。

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現在の沖縄市は1974年に、当時のコザ市美里村とが合併して生まれたのだが、元のコザ市

は1956年に米軍の市制施行によって誕生した市だった。

つまり米軍がこしらえたコザ市であり、その米軍基地のゲートに通ずる大通りが

「コザゲート通り」なのである。看板が英語であり、客筋がアメリカ人たちなのは当然という

ことになる。

そして、いまもコザ地区の36%が米軍施設によって占められており、町の景観、雰囲気も琉球色と

アメリカ色の混合である。その混合した文化色が現代のオキナワ音楽、バンドを生み出す

環境となっているそうだ。

コザからスタートしたオキナワジャンルといっていい音楽は、島唄であり、オキナワンロックであり、

アーティストはりんけんバンド喜納昌吉ネーネーズオレンジレンジなどだといわれる。

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道路の脇に、ロープを編んでこしらえた、巨大な蛇が、しかも二頭長い巨体を横たえていた。

世話役の大将に尋ねると、

「二頭の大蛇の、頭と頭をくくりつけて、綱引きをするのだよ」とのこと。

「夜の5時からはじめるよ。全員で1200人が参加して、盛り上がるんだ」

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残念ながら、われわれは5時にはホテルに戻っていなければならない。

そうこうしていると、カーニバルの参加する各チームが、コザゲート通りにパレード

しながら入場してきた。

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ブラジルからやってきたサンバのチーム、ハワイアンのチーム、琉球舞踊のチームなどなど

あとからあとから続く。

かれらは中央に設定されたステージで、踊りやパフォーマンスの競演をして、

ナンバーワンを競うと言うことである。

さあ、祭りだ、祭りだ!!