「ざわわ」とアメリカン・ビレッジ
11月26日、今日はミウとミクの一ヶ月検診で、女房が付き添って病院へ行ったから、
わくわく亭は自由行動の日となった。
倅のダイスケはどこやらへ散策に出かけるときに、
「なにか欲しいものがあったら、買ってくるよ」と言ってくれたから、
「途中どこかにマクドナルドがあったら、チーズバーガーをたのむ」と言った。
沖縄料理や沖縄風味の食べ物ではない、いつもの食べ慣れた味が欲しくなったのである。
わくわく亭は15年間一日も欠かしたことにないヨーガの体操を1時間やってから、
ぶらりと散歩に出た。
ホテルから見えている海岸へ向かって歩いてみることにしたのである。
沖縄はどこへ行くのもマイカーが必要な島である。
道を歩いている人など、ほとんどいない。
道幅の広い道路の前方後方を眺めても、歩く人影はない。寂しいくらいである。
道路を横断して、川の流れに沿いながら、海の方角へと歩く。
片側は広漠としたサトウキビ畑である。
ざわわ、ざわわ、と呟きながら歩く。
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
海岸に出た。
浜を歩いていくと、瀟洒な別荘風な建物がつづく一画がある。
スパニッシュ・ビレッジとかという通りの標識がある。はるか前方の岬のあたりには、
リゾートホテルかレストランか、白いおしゃれな建物が見える。
ようやく自転車でやってくる老人と行き過ぎた。
浜から、ホテルに戻るまで、歩く人を見かけたのは、その老人を含めて4人だけである。
季節のせいなのだろう。やはり、ここに人のあつまるシーズンは夏なのだろう。
通りに沿って歩いていると、なんとも形容しにくい洗車サービスの店があった。
「洗車・ワックス」という手書きの看板を何枚も張り出している。
ガソリンスタンド風ではあるが、ガソリンは売っていない。
店の中には人がいて、こちらを見ている。
つぶれかかったような建物で、隣にあったらしい食堂は、ずっと以前に閉店している様子だった。
長すぎる不況に,息も絶え絶えな沖縄経済の苦境を象徴したような店舗である。
午後の5時にジュンが車で迎えに来た。
東シナ海側の北谷(ちゃたん)の浜で、日没を見ながら夕食をとろうという計画だった。
夜の海岸なので、ミウとミクはアキナとともにアパートに残してゆく。
あいにくとビーチ到着が遅れて日没を見逃した。
かろうじて東シナ海のあかね色の残照を見ることはできた。
ビーチ沿いにあるバイキングスタイルのカレー店に予約がしてあった。バルコニー席で暗い
海を見ながら5~6種類あるカレールーを好みによって選んで食べる。
アイスティやコーヒー、ジュースなど自由に飲めるが、アルコール飲料は別料金で、
男は一人800円、女が750円。ということは男は女より、50円だけ食べる量が多いのかな。
このビーチに休日サーフィンにやってくると、ジュンが話す。
夜間でも、真っ暗な海に浮かんでいると、現実の自分から解き放たれて、まるで別人の
ような幻想的な気分になれるのだ、と言う。
暗闇の空を時折飛行機の光が飛ぶ。すぐ北には米軍の嘉手納基地があるのだ。
そして南には世界一危険な飛行場といわれる普天間基地がある。
沖縄県知事選挙が2日後の28日にある。
選挙の宣伝カーやポスターを見かけていないが、とわくわく亭が言うと、
「那覇市内ではやってたよ」とダイスケが応えた。
食後にもう一軒予約してあるカフェに行く。
堤防の上を歩いてゆくと、宮城海岸沿いにある「トランジット・カフェ」という店に上がる。
暗くて見えないが、目の前が嘉手納基地だから、客の半分ほどは兵士らしいアメリカ人である。
バルコニー席で、少し寒さを覚えながら飲み物を楽しんでいると、ジュンが気をきかせて
店員に肩掛け毛布を頼んでくれた。
「このビーチでも夜のサーフィンはいいんだ」とジュンが解説する。
「素敵よね」と女房が応じているが、彼女はわくわく亭より3日先に沖縄に来て、
シュノーケルをつけて倅達と海に潜っているから元気なものなのだ。
わくわく亭は夜の海なんか、怖くて入る気がしない。
行ったことがあった。
それほどまでに、海と波が好きな彼に、東京で暮らせるわけがない。沖縄がいい。
「カーニバルパーク・ミハマ」というショッピングセンターがある。
で飾り付けられたショッピングエリアをドライブして戻る。
この沖縄に、わくわく亭の双子の孫達は,どんなふうに育っていくのだろうか。