グスクとウタキ

8日間の短い滞在期間でだったが、いたるところで、沖縄および沖縄諸島が神々の島であることを

実感したものです。

まず、グスクとウタキについて。


グスクというのは城のことです。

首里城(しゅりじょう)は沖縄の言葉では「スイグスク」と呼ばれています。

「城」は「グスク」と読まれる。


首里城琉球王国の政治権力の中心であったのは当然ですが、琉球の信仰上の重要な聖地

でもありました。

そもそも琉球王国祭政一致の体制の国でした。

日本の古代史に出てくる邪馬台国における卑弥呼が、シャーマンであり、かつ女王として

国を統治していたことを思い出します。


首里城内にはいくつもの拝所、聖地がありました。女性の神官(シャーマン)がそれを管理しました。

神官は神との交信ができて、神を自分の身に憑依させる能力もありました。

琉球王は彼女たちから聞く神の言葉に従いながら政治的な統治を行いました。

その聖地は、森でした。

それを「御嶽」(ウタキ)とよびます。

ウタキは神が降臨する場所であり、祖先神がいるとされる信仰の場所、拝所でした。

偶像はなく、森か森につつまれた空間でした。

沖縄戦によって首里城が破壊されたために、それらのほとんどは失いましたが、

首里城外に、いまも残る「園比屋武御嶽」(すぬひゃんうたき)の石門はそのひとつです。

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この石門の背後に小さな森がありますが、戦前はもっと大きな森でした。

この石門を含め、“琉球王国のグスク及び関連遺跡群”が世界遺産に認定されています。



民俗学者によりますと、沖縄のグスク(城)は、元々はウタキ(御嶽)を中心とした集落であった

ものが発展して城砦化したといいます。

首里城もそうしたウタキが発展して城砦となったとみなされるようです。


沖縄県内には。いまも数千箇所のウタキが存在するそうです。

いわば、そうしたウタキ群のなかで、もっとも中心的な国家の聖地であったのが

首里城のウタキでした。



ウタキを管理する女性神官を「ノロ」と呼びます。

各所のノロを統括する神職が置かれ、「大阿母」と呼ばれます。

さらに、そのうえに、最高位の神職をもうけ、「聞得大君」(きこえおおきみ)と呼ばれました。

これはノロ(シャーマン)の頂点にあるポストで、国王の血縁にある女性が代々その職に

つきました。初代から18代まで、およそ400年も続き、1945年の終戦をもって

廃職になったということです。


連想するのは天皇家伊勢神宮斎宮のことです。

伊勢神宮は日本の天皇家の祖先を祀る神社であり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を

祭神としています。そして、天皇家から未婚の皇女の一人が斎宮として神宮につかえるという

ならわしがありました。

類似したならわしでしょう。


息子のジュンと妻のアキナが住んでいるアパートの真ん前にも、ウタキがありました。

小さな丘があり、森になっています。

木の標識がたっており、「拝所」とあって、矢印がついています。

沖縄を去る日の午後、わくわく亭は、その拝所の近くまで行ってみました。

ウタキの多くは、現代でも住民の中の女性達が管理しており、祭礼や行事も彼女たちが

取り仕切るようで、男子禁制の場所もあると聞いていましたから、

適当な距離を置いて、写真を撮りました。

それが、この写真です。

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この樹木に囲まれた静かな場所そのものが、自然の拝所なのでしょう。

鳥居も社殿もありません。

白い建物はありますが、その中は祭祀を執り行う女性が入るところなのでしょう。

形は異なりますが、いわば、日本の村々に無数にある、村の鎮守の森と、

氏神さんのような存在なのではないでしょうか。



11月25日には「神の島・浜比嘉島」で「東の御嶽」(あがりのウタキ)を拝みましたが、

なにやらものすごい霊気がみなぎっている場所でした。

そのとき思い出したのが、むかし見た今村昌平監督の日活映画「神々の深き欲望」でした。

舞台は奄美諸島あるいは沖縄に近い架空の島で、そこに残る古い習俗、信仰を描いていて、

それは日本人の信仰のいちばん古いかたちであるシャーマニズムで、

細川ちかこが巫女役で迫真の演技を見せていました。


ああ、沖縄は神々の島だと、わくわく亭は納得しているのです。