首里城内で見た仲里節

11月23日は首里城を見物する。

表側から入らず、裏側から入ったために、守礼の門を見るのは一番最後になった。

首里城は、高く築いた石垣の上に、高層の天守閣を持つような日本の城郭とは

異なる。城壁は巡らしているが直線的ではなく、優美な曲線を描き、その渦の中心部に御殿建築の

正殿がある。7月に訪れた龍野城がそんな御殿だった。

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正殿前の広場で、たまたま琉球の古典舞踊が演じられていた。

見物できたのは「仲里節」だった。

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若い男女の恋が語られている歌と舞踊なのだが、むかしNHKテレビで見た記憶があった。

伝統的な琉球言葉で歌われているから、沖縄生まれのアキナにも意味はわからないということだ。

わくわく亭はとても興味があるので、しらべてみた。

仲里節(なかざとぅぶし)はつぎのような歌なのである。

聞けば仲里や花の本てもの咲出らば一枝持ち呉て給れ
ちきばなかざとぅや はなぬむとぅでむぬ さちじらばちゅいぇだ むちくぃてぃたぼり
(聞いたこところ仲里は華やかな(遊びの)土地であるから 咲き出たら一枝持たせてください)


花と思みは里前花持ち給れ いつまでも思は御身いまおれ
はなとぅみばさとぅめ はなむちたぼり 'いちまでぃん'うみば うんじゅ'いもり
(花と思ったら貴方、花をお持ちください いつまでも、思ったら貴方がいらしてください)


音信も聞も見詰覧あれはおもひ安まらん旅の空や
'うとぅじりんちかん みちみらんありば 'うむいやしまらん たびぬすらや
(音信も聞かない 見ることもないので 思いが休まらない 旅の身の上は)


音に聞恋に思ひ焦とて拝て振別る縁の面灘
'うとぅにちく くいに'うむいくがりとてぃ うがでぃふわかりる いんぬちらさ
(噂に聞く(だけの)恋に思い焦がれていても お会いして(すぐ)別れる縁のなんと辛いことよ)


かん自由も成ぬ世界やなて来はの主か世話世話と物よ思て
かんじゆんならぬ しけやなてぃくりば ぬしゅがしわじわとぅ むぬゆ'うむてぃ
(こう自由もならぬ世界になってくると ご主人様の(ことが)心配で心配で もの思いになって)


かん自由も成ぬのかすとくかにある一期さへ居ぬ世界と安か
かんじゆんならぬ ぬがしどぅくかねる いちぐさえ うらぬしけどぅやしが
(こう自由もならない なぜあまりにも かような人生さえない世界であるが) 


NHKの民謡の時間などで、沖縄あるいは琉球民謡として紹介されてきたが、

こうした歌謡は「琉歌」と呼ばれているらしい。

日本の本土には万葉の時代から、57577の31音による「和歌」がうたわれてきたが、

琉球王朝時代から、この島では短歌ならば8886の30音による「琉歌」がつくられてきたのであり、

その形式は口承文学として、民間歌謡として、宮廷音楽として伝わってきた。

それが現代の「島唄」となって創作され、歌われているのだという。


正殿内部に拝観料を払って入る。

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琉球王の玉座である。復元したものだそうだ。

「中山世土」の扁額もまたオリジナルは沖縄戦で焼失しており、復元したもの。

中山王府が琉球を統一支配したときに、清朝第4代の康煕帝が贈った扁額で

「中山が世々治める土地」という意味だそうだ。


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有名な守礼の門で記念撮影。

抱えた袋のなかにはミウとミクが眠っております。