ベッチャー祭り

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 この写真は昭和33年ころの尾道吉備津神社の例祭「ベッチャー祭り」の街頭風景です。

 僕の小説集『尾道船場かいわい』に収めてある「ベッチャー祭りのあとで」は昭和30年11月3日のこととして書いていますから、この写真はほぼ同時代のものといえます。

 僕が15歳のときの物語ですが、お祭りについて、ちょっと紹介しておきます。

 吉備津神社から出たおみこしの行列を先導し、先払いをつとめたのが、4体のお面で、獅子頭猿田彦面、おろち面、武悪面たちです。
 かれらはそれぞれ特徴のある武器を手にして(獅子頭だけは、歯でかみつくのが武器であるが)まとわりついてくる子どもたちを、追い払って、先払いするのが役目です。

 写真中央に立っているのが〈ショーキー〉です。正しくは猿田彦面なのですが、冠り物と衣装が〈鍾馗〉ににているので、〈ショーキー〉と呼ばれたらしい。

 かれが一番人気だった。天狗のような高い鼻をもち、愛嬌のある顔をして、怖くない。武器も竹を割ってつくったササラなので、ぶたれても痛くもない。だから男の子ばかりか、女の子までが〈ショーキー〉
のまわりを囲み〈ショーキー、ショーキー〉とはやしたてた。

 僕の小説から引用してみます。

 〈面をつけた男たちも血気盛んの若者である。カッとして頭に血がのぼるのもむりはない。祭りが高潮してくれば興奮して本気で殴りつけた。
 子供たちも興奮して、背後から突き飛ばすもの、腰に組み付くもの、過度の執拗さで立ち向かうものもいた。
 怒った面たちが、蒼白な顔で逃げ出す子を追いかけて、商店や民家の中に逃げ込んだ相手を座敷の上まで追いつめて、殴りつける場面もあった。
 それだけにスリル満点の祭りとして、少年たちの血はたぎり、わきかえった。はやす声、喚声、悲鳴、泣き声、恐怖で逃げまどう声が、街から街、通りから通りにあふれかえり、上気して血相をかえた子供たちで全市が沸騰した。〉

 それは奇祭といっていいでしょう。僕らは怖い武悪面の〈ベタ〉、おろち面の〈ソバ〉に決死の思いで素手で立ち向かっていった。太い棒きれでなぐられたなら、それが少年の勇気の証だった。誇りだった。
 
 僕はいまでも、あの日の興奮を、まざまざと思い出すことができる。
 
 この〈ショーキー〉をとりまいた子供たちの写真のどこかに、すぐちかくに、僕はまちがいなくいたのです。