スピーチの原案

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作家竹内和夫さんの著書『酩酊船 冬の海図』出版記念会が

11月21日に神戸で催される。

わくわく亭も出席するつもりでいるが、竹内さんから、短いスピーチをするように

いわれている。

なにを話すべきかと、『冬の海図』のページをめくる。

竹内さんは関西の名門同人誌「VIKING]の古い同人である。

同紙に発表した小説「孵化」で第56回芥川賞候補となる。「VIKING」のほかに

「姫路文学」「酩酊船」などいくつもの同人誌に関係している。

そうした同人誌仲間との交友を中心に書いたエッセイ集が『冬の海図』であり、

「VIKING」の黄金期の同人達の名前がつぎつぎと現れて、まぶしいばかりである。

創始者であった富士正晴をはじめ、北川荘平、山田稔高橋和巳庄野潤三久坂葉子

島尾敏雄、そして津本陽

エッセイのなかに、「みんな野球が好きだった」という文章がある。

戦後のプロ野球一リーグ制スタートからの、竹内少年の野球熱にはじまり、

上記黄金期の「VIKING」メンバーたちによる、記念碑的な草野球について。

そして、近年「酩酊船」の乗員になったわくわく亭の紹介がある。

それもまた「野球」がらみになっている。

文中のMがわくわく亭である。


いま一人は、高校時代野球のエースだったという180センチの巨漢・Mで、

60歳を迎えた今でも豪速球を投げられそうだが、輝かしい球歴の持ち主は

その栄光を一人胸に収めてむやみに人前に出すのをはばかるのか、野球のことは

口に出さないし、文章にも書かない。

その蓄えた知力体力を小説書きに放出して、「姫路文学」「別冊関学文芸」などの

同人誌に力作を書いてきた…


もちろん竹内さんは諧謔を加味して書いているのであるが、「高校時代野球のエース」

だったという幻の伝説が、この本とともに、後々までも長く伝えられて行っていいものだろうか。

7月に龍野で「酩酊船」の合評会があったとき、出席者のFさんが、

「はじめてお目にかかりますが、さすがに高校時代エースとして甲子園に行かれただけあって

立派な体格ですね」と言った。

竹内さんのエッセイから出た誤伝ということになる。

わくわく亭がにやにやしていると、竹内さんが、

「いや、彼が甲子園に行ったというのは、彼が高校時代に、野球部が甲子園に出場したとき

応援に行ったという話でね、どこでどう間違えて聞いたのか、彼がピッチャーとして

甲子園へ出たということになって…」

「応援ですか、ハハハ」

という笑い話があった。

しかし、本には、訂正されることなく、わくわく亭が高校野球部のエースとなったままである。

世にある多くの根拠のない栄光の伝説とは、このようにして生まれて、そして伝えられていくものか。

それはそれとして、悪い気はしない伝説なのである。

「竹内さん、ありがとうございました」


どうやら、スピーチの原案は出来たようである。