現代小説のリアリズム

朝日新聞で、斎藤美奈子さんが担当する今月の「文芸時評」を読む。

小説のリアリズムについて、同人雑誌の作品と、商業誌の新人賞作品を比較対比していて

面白い。

まず、「文学界」11月号の寄せられた伊藤氏貴さんの「同人雑誌はいま―『新しさ』の呪縛

を逃れて」という論文を紹介している。

商業誌の作品は、最近の芥川賞の傾向を見ても分かるとおり、徹頭徹尾リアリズムで通す

作品は減っている。《マジックリアリズムだったり、漫画的キャラ化だったりと、日常的

には理解しがたい要素がふんだんに入りこんでいる。》

一方の同人誌系作品では、《圧倒的にリアリズムであり。舞台は日常である。かつて

「身辺雑記」と揶揄された私小説的作品が多》いという。


斎藤美奈子さんは、同人誌系の小説の一例を挙げながら、《なるほど〈リアリズムから外には

半歩たりとも出ようとはしない〉のが逆に凄い。》という。

半歩たりとも出ない、と見るのは斎藤さんのやや勉強不足であるが、日常風景を「写実」する

作風が基本的であるのはまちがいない。

他方の商業誌作品について、斎藤さんは、今月の新人賞受賞作を例にして、

《先の図式の通りで、新人賞小説は見事に「リアリズムの外」に一歩も二歩も三歩もハミ

出した作品》だとする。

そして、同人誌的リアリズムは《標準レンズ1本で勝負する》方法論だとカメラ撮影にたとえ、

「日常の外にハミ出す」商業誌新人賞作品を、

《ゲーム世代の若い人たちは鳥瞰図にも虫瞰図にも図像の拡大縮小にも慣れている》カメラ

操作をしていると評する。

たしかに、近年の新人賞の受賞作品には「リアリズムの外」へと進む物語性がある。

それを「新しさ」の追求とするのであろう。

冒頭の伊藤氏貴さんの論文を読みもしないで推測するだけであるが、そのタイトルに、

《「新しさ」の呪縛を逃れて」》とあるから、

若い新人作家たちは、「新しさ」を追求するという「呪縛」にとらわれており、

同人作家たちは、その呪縛から「逃れて」いるという論旨なのではないか。

以上の二分法はわかりやすい。

しかし、実際は、それほど単純でもないと、同人誌に作品を書くわくわく亭は思う。

同人誌にも「リアリズムの外に」ハミ出す作風の作家は少なくない。

むしろ上のカメラの例でいえば、

カメラを地上に、低い位置に設定して、その位置から撮影できるものを写し、鳥瞰図的な

位置をとらない、という技法ではあるが、カメラが捉えないなにものかもまた幻想、幻覚、暗示

等々の方法で豊かに描写をしているといえる。つまり「ハミ出し」かたの

方法論の違いである。

要は、それが読むに値するおもしろい小説かどうか、だろう。

そして、

斎藤さんの時評のラストの一節は、いかにもジャーナリスティックな彼女の評論らしい。

〈「今の話、まともなところが、ほとんどないよ」という部分がなかったら、

小説なんか読んだって何もおもしろくないじゃない?〉

言い方は逆説的だが、読者が面白いと支持をしてくれる作品になっているかどうか、

それに技法や方法論はかかっているのです。