まけなかった、ヒカルくん!

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「ヒカル」くんのことは、このブログの書庫「尾道ものがたり」の中で、

尾道少年 ヒカルくん』として最初紹介した。

2007年9月で、(1)~(4)まである。

わくわく亭が久しぶりに郷里尾道に帰って、詩人の花本さん、花本夫人、そして花本さんの孫のヒカル

少年とともに尾道から向島を巡ったときの紀行エッセイである。


その後、加筆して「花本さんとヒカルくん」の題で『酩酊船』25号(2010年4月発行)へ

発表したところ、花本さんから要望があり、氏の個人誌『非存在の風景』18号に転載

された。2010年7月に発行された。

そのことも、このブログの書庫『文学仲間』中の「非存在の風景・18号」という記事に書いた。


わくわく亭が「加筆」したエッセイの後半部分というのが、ヒカルくんが通っていた尾道

小学校で、彼がひどい「いじめ」にあっており、それを解決すべく花本夫妻が学校と交渉する

悪戦苦闘のようすを、書き足したのだった。資料は「非存在の風景・17号」および花本さんからの

手紙などだった。


くだんのエッセイのしめくくりに、わくわく亭は《まけるな、ヒカルくん。》と書いた。

今年の4月の時点である。

そこのところを、引用する。

 これでは子供を学校へやれないのは至極当然である。

花本さんならずとも、教師達のやる気のない、ことなかれ主義には腹が立つ。

 全国の小学校で、こうした学級崩壊現象と生徒の虐め問題がクローズアップされて、すでに久しい。
 
 大都市の学校では、クラス担任だけに問題解決の責任を、押しつけるのではなく、

全校の問題としてとらえて、協力して問題解決に当たろうという動きがあるらしいが、

地方の学校ではそうした取り組みが大幅に遅れているようだ。 

花本さんは、
 
《先生は誰に遠慮しているのか判らないが、どうしてやる気がないのか判らない。

ひどい学校である》

 と、花本さんは高校で、夫人は小学校で教員生活を送ってきただけに、

その憤りと落胆はよけい甚だしいものがあるだろう。

 まもなく四月である。六年生になって、クラスや先生が替わって、

情況が改善してくれればいいが、と私は願うばかりであるが、花本さんの「入院の記」は、

つぎの痛烈に皮肉な文章で締めくくられている。

《孫は警察へ寄って熱心に申し立てたらしい。学校では聞いてもらえないのに、

警察ではしっかり聞いてくれるので、満足したらしい》

 学校では、虐めや暴行をうけても、先生たちがまともに聴取する気がないと見切りをつけたか、

《孫》は一人で警察へ行き、被害の実情を訴えたというのである。

 学校より警察を選んだという、小学五年生の心細さを思えば痛々しい気もするが、

いじめにあって泣いているばかりではなくて、問題の解決方法を自分ながらに考えて、

警察に相談に行ったとは、ふつうの子がやらない、大胆な行動である。

 すると、この花本さんの《孫》は、私が尾道で会った、

あの明るくて人見知りしないヒカルくんのような気がしてくるのだった。

まけるな、ヒカルくん。



それから、どうなったか。

ヒカルくんは別の小学校へ転校した。

そこまでは、聞いて知っていた。


昨夕のことである。

5時過ぎだったろう、電話が鳴って、わくわく亭が出た。

女性の声で「尾道の花本です」という。

数日前に、花本さんから『十八歳の旅日記』贈呈への礼状がハガキで届いていたが、

文面に「脳梗塞で入院していました。五回目です。普通ならとっくに終わってしまうらしいですが

小生は何となく生きています。自分でも不思議です」とあったから、

花本さんに何かあったのか、と緊張した。

さいわい、そうではなかった。

花本夫人からの電話の内容は、

一つ:ヒカルくんは市内の別の小学校へ転校させることが出来て、その学校では校長はじめ

   先生たちも、ヒカルくんが受けていた「いじめ」問題に深い理解をしていて、再発の

   無いよう全校上げて協力をしてくれている。

   いじめによって声が出なくなって、医療機関に相談したところ、そこの医師が

   重大な問題だとして教育委員会への働きかけをして、転校が実現したそうで、

   そこまで健康を損ねていたヒカルくんが、すっかり元気を回復したとのこと。


そのことで、わくわく亭に電話をくれたのか?

いや、理由はつぎのことである。


二つ:上記の「花本さんとヒカルくん」を載せた『非存在の風景』は発行されるや、

   友人、知人へ配布は当然のこととして、そのほかに、上記の医師、教育機関

   関係者、転校先の校長たちへも送られた。

   マスコミではないが、外部からの批判が印刷物としてなされたことは、

   なにがしかショック療法の効果くらいはあったらしい。

   夫人は「大きな力になりました」と力説した。


三つ:転校先の校長さんが、「あのエッセイを書いたのは、この新聞記事になっている

   新刊書の作者ですね」と、花本夫人に10月1日の「山陽日日新聞」をみせた

   というのだ。

   それが昨日のこと。

   「校長さんが『十八歳の旅日記』を読みたいというので、啓文社で買えますよ、

   というのもなんだから、うちにあるけえ、もってきましょう」と言ったとか。

ああ、そこで1冊売り損ねたか~。(笑)   

ヒカルくんが明るい元気な、もとのヒカルくんにもどったらしいことを知らされて

わくわく亭は、とてもうれしいのである。

そして、わくわく亭の筆が、すこしでも「役にたった」といわれて、このことは

ブログを読んでヒカルくんを心配してくれた、数は多くないにしろ、お仲間にも

報告しておこうと、この記事を書いた。