短編{かれらの風貌」(11の11)
ラッキーが幾日も大便をしないことがあった。
動物病院に訊いてみると、のませている鎮痛剤のせいで、
そのうちに出るようになるから心配はいらない、と教わった。
ある日ゴムマットを洗い、ついでに玄関内の掃除をしていると、下駄箱の下のすきまに、
丸いものをみつけた。
かなりの大きさのボール状のもので、ラッキーの便だった。
母もテニスボールほどのまん丸い便をしたことがあった。
妻はそのことを医者に報告した。
妻はそのことを医者に報告した。
「あんなにベッドの上だけで過ごしていても、食欲はちっとも落ちないし、胃腸は元気なんですね」
「大きいボール状の便をするというのはね、おくさん、大腸が元気なんじゃなくて、反対なんです。
衰弱してくると、そんな便をします」
私はラッキーのした丸い便をティッシュで拾いながら、医者のその言葉を思い出していた。
ラッキーの食欲にさしたる変化は見えないのだったが、消化器系は衰えているらしい。
玄関内で過ごすようになって、およそ三十日。とつぜん彼の食欲がなくなった。
生肉を食べなくなったら死期が近いと、ほかの愛犬家から聞いていたから、妻は心配した。
すき焼き用の牛肉を口のそばに持っていっても、さもいやいやそうに、
どうにか一口のみこむという状態になった。
水をいれた容器を口もとに寄せてやっても、自分では首を起こすことができない。
吸い口をつかって水を飲ませてやる。
母の一周忌が六月の上旬で、そのときラッキーはまだ玄関外にある自分の犬舎に出たり
入ったりはしていた。
入って腰を落とすと、自力で起きて出てくることが難しくはなっていたが。
八月の新盆のときには、法要にきてもらった正信寺さんが、
玄関内でオムツをつけてぐるぐる回っているラッキーを見て、ぎょっとした顔で、
「噛みつきませんか」と訊いたのを、いま思い出した。
お寺でも座敷犬を飼っているほどで、犬きらいというわけではないそうだから、
よほど異様なようすにみえたに違いない。
その日の朝、ラッキーの呼吸が弱々しいのに気づいた。
水は飲まなかった。
胸に手をあてがってみた。
鼓動がかすかで、それも途絶えがちだった。
妻と私はラッキーをなでさすってやるのだが、彼の瞳は澄んで、おだやかだった。
「写真をとってやって」
妻のひざに抱かれて、まだ眼にはかすかに光があるラッキーのさいごの写真を、私が撮った。
彼がなきがらとなって後のことは、オッキーとチビにしてやったとおなじ手順による簡素な
葬送だった。
こうしてわが家から、三頭がいなくなった。
その年の暮れに、三つの犬舎は分解して不燃ごみとして出した。
三つの犬舎があった玄関先には、いま二十個ほどの草花の鉢が季節の花をつけている。
(了)