短編「かれらの風貌」(11の10)

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 三頭の犬たちの終末をくらべてみると、三者三様だったことがよく分かる。

 なかでもラッキーについて書いていると、母のさいごの日々が思い出されるのは、

ラッキーの状態が母の様子に一番似ていたからだろう。

 さいごの六ヶ月間、母は歩行困難となりベッドの上だけで生活をしていた。

 ベッドわきに簡易式のトイレを置いていたが、パンツ式のオムツも使っていた。

 食後はいろいろの薬をのんでおり、中のどれかに催眠効果があって、とろとろと眠っていた。

 テレビをつけても、関心をもって観ているわけではなくて、

ただものさびしいからつけているだけのことだった。

 昼間断続しつつ眠っているものだから、夜間は眼がさえて、眠ろうとしても眠れなくなる。

自分では昼間に眠っているという自覚に乏しいので、なぜ夜間眠れないのか不審で、

眠剤が弱すぎるからだ、もっと効果の強いものを処方するように医者にたのんでくれ、

と妻にくどくど言っていた。

 一度催眠効果の強い薬をもらったとき、翌日の午後になっても意識の六、

七十パーセントほどが覚醒せず、食事はまともにできないわ、簡易式トイレを使うつもりで

オムツをずらしながら、途中でそのことを忘れて、ベッドの毛布の中で大小便をしてしまうわ、

といろいろ失態をしでかした。

 もとのゆるやかなききめの薬にもどすと、また夜間眠れないと、くどくどいう。
 
 夜十時に妻からもらった薬をのむと眠るのだが、三、四時間もすると薬効がきれて眼がさめてしまう。

それは深夜の一時、二時である。

母は妻の名前、つぎに私の名前を呼びはじめる。

声のボリュームはしだいに高まり、まるで怒鳴り声になる。

妻か私のどちらかが顔を見せるまで、母はけっしてあきらめない。

 母の声に加えて、テレビの大音響が二階まで震撼させる。

チャンネルを変えるつもりで、リモコンスイッチのボリュームボタンを押し続けているうちに、

音量が最大になったのだ。 

こうなっては、母の声が聞こえなかったと熟睡したまねはできないというもの。

あわてて階下の母の部屋へ。

「どうしたの」

 まっさきにテレビをオフにする。

「いま何時なの。朝なの、夜なの。テレビのスイッチがこわれたのか、押してもつかないんだ」

「いまね、深夜の二時。みんな、ご近所も寝てる時間なんだ。眠れなくてテレビをつけるのなら、

音はちいさくしてくれよ」

「えっ、いま夜中なの?みんな、いなくなったのかと、心配になったものだから。

さびしいんだよ、わたしひとりになったのかと思って」

「みんな二階にいるよ。さびしいからといって、毎晩なんども呼び起こされたら、

おれたちも寝ることができないんだ」

「ごめんなさい。もう呼んだりしません」

「トイレを使いたいんじゃないの?オムツが濡れたのなら替えてやるよ」

 あれこれ用をして、部屋を出ようとすると、

「電気は消してもいいよ」という。

 豆ランプだけにして、二階にもどる。

ものの十分もしないうちに、下から私と妻の名前を呼び始める。

その声のボリュームはどんどんと高まっていくのである。


                  ―(11)へつづく―