ジョルジュ・デュアメルの言葉

大江健三郎さんが今朝の朝日新聞コラムでフランスの作家ジョルジュ・デュアメル

(1884~1966)の言葉を紹介している。

氏の東大時代の恩師であった渡辺一夫さんとのエピソードとともに、師の翻訳したデュアメルの

『文学の宿命』からの文章を引用している。

コラム『定義集』のサブタイトルが「新しく小説を書き始める人に(4)」で、創作を志す若者に

あてたデュアメルのとても含蓄の深い文章なので、ここに転載します。

これは短いながら、小説とは何か、人生とは何か、人はいかに生きるものか、などをやさしく

語りかけています。


それぢや、まづ第一に生活なさいよ。

さう、人生の乳房からたつぷり乳をお飲みなさい。

将来生れる君の創作を養ひ育てるんですね。

君は、立派な小説を作りたいと言ふんでせう?

そんなら、よござんすか、どこかの船にでも乗込み給へよ。

さゝやかな仕事をしながら世界を駆けまはり、貧乏も我慢し給へ。

急いで筆を採るのはおよしなさい。

苦しみも試練も忍従なさい。

幾百となくゐる多くの人達を見給へな。

そして、私が多くの人達を見給へと言ふ場合、その意味は、人々によって不幸に陥れられたり、

また人々を幸福にする為に不幸になったりするのを拒むな、といふ意味なのです。

(中略)

立派な小説を作りたいと言ふのでせう?

それぢや君!

まづ手始めに、そんなことをあまり考へつめないやうにし給へな。

行手をきめずに出かけ給へ。

眼や耳や鼻や口を開けて置くのだ。

心を開け放しにして、待ち給へ。

丁度、あの……



「あの……」のあとはセルバンテスのように、と続くのだそうですが、

まだ若い大学生で、すでに新進作家の名声を得ようとしていた大江さんは、

「まづ第一に生活なさいよ。人生の乳房からたつぷり乳をお飲みなさい。

将来生れる君の創作を養ひ育てるんですな。

急いで筆を採るのはおよしなさい……」

と恩師の訳書によって、最良の教えをうけた、と結んでいます。


まず、生きて、世界を、人々を見て、知って、たっぷりと人生の乳房から乳を飲んでから

筆を採るがいい。

とても美しい言葉です。