『合葬』で生き残ったのは誰だ?
杉浦日向子さんの初期の傑作と評判が高い『合葬』である。
ブログ記事「杉浦日向子アルバム」を書いたついでに読み返してみて、
ひとつ「謎」が残った。
手元にあるのはちくま文庫版である。
『合葬』はマンガ誌「ガロ」に連載(1982・7月号~1983・4月号)されたものに、
「長崎より」を加えて83年5月に青林堂(「ガロ」発行社)より刊行されたのであるが、
それを文庫にしたものである。
その三人とは、
吉森柾之助(旗本三百石の養子)
秋津極(福原の妹砂世との婚約を破棄して彰義隊へ入隊)
福原梯二郎(長崎で蘭学を学ぶ旗本の次男)
上野戦争で吉森と秋津は隊員として戦闘に加わる。
福原は隊員ではないのに上野山から脱出が出来なくなって、
流れ弾に当たって死亡する。17歳の死であった。
これが、その場面で、福原梯二郎は吉森と秋津の方へにげようとして、撃たれる。
吉森と秋津は介錯した福原の首を抱いて逃げるが、秋津も弾を受け、
逃げ切れず自害する。彼の死も17歳だった。
生き残ったのは吉森柾之助ひとりで、会津へと落ちてゆく。
そこで「ガロ」の連載は終わった。
連載が終了して、翌月には「長崎より」と加えて単行本が刊行された。
さて、「謎」とはなにか?
「長崎から」では死んだはずの、福原梯二郎が、長崎で生きているではないか。
途中、旅人に救われているから、のちに長崎に戻ったのか。
つまり「長崎から」は維新後の、後日談か?と勘違いをさせられた。
(福原梯二郎と吉森柾之助とは、マンガの顔が区別しにくいほど、よく似ているのである)
いや、そんなことはないのである。
杉浦日向子さんは、こころにくいほど巧みな仕掛けをしたのである。
「長崎から」は、後日談ではなくて、福原梯二郎が長崎から、妹砂世への土産を
もって江戸に帰ってくるまでを、時間の前後を入れ替えて、見せているのである。
悲惨な死を遂げる直前の、「平和」な時間を、「ガロ」連載の後に、
書き加えて、読者に福原梯二郎にそれから訪れる運命の不条理を、ラストに見せて
悲しみを、新たに盛り上げる。
映画的な手法である。
それを単行本にするときに、さいごに入れるとは。
なんたる才能の切れ味か。