杉浦日向子アルバム(5)

イメージ 1



雑誌「ユリイカ杉浦日向子総特集号から写真のアルバムを紹介してきたが、

これを最後にしよう。

写真は兄の写真家鈴木雅也さんののスタジオで、雅也さんが撮った41歳の日向子さん。

サブタイトルに、「ごくらくちんみ」のネタ・とうふようとグラッパをのみながら、とある。

編集者の福田由美さんが初めて日向子さんに会ったのは、彼女が「隠居宣言」を

した頃で、会った場所も、通院中の病院の待合室だったと証言している。

そのときの彼女の印象は、

「がらんとした病院のソファにぽつんと座った姿は、病院特有のぼんやりした明るさのなかで、

とてもはかなげに見えた」という。

それでも依頼した仕事で、福井県九頭竜川をたずねる旅では、黒龍酒造の銘酒を順に

飲み干していった記憶があり、その「飲みっぷりが半端じゃないんである」と書いている。

彼女の酒豪ぶりは誰もがおどろきを隠さず伝えているが、

自分の寿命が長くないことを悟って、好きなお酒を飲めるだけ飲んでおこうと、

飲み急いでいたとしたら、かわいそうだった。


「ぼんやりとした明るさのなかで、とてもはかなげに見えた」という日向子さんの姿は

江戸から一人現代にやってきた人の、さびしさだったとも言える。

マンガ評論のいしかわじゅん氏は、その「江戸の人」という寄稿文で、

それを杉浦日向子さんの「悲しみ」だったという。

「楽しい物語にも、悲しい物語にも、喜びの物語にも、どんな物語にも、なにか基調音のように

ずっと耳の奥に響くものがある。それは彼女の悲しみなのだ。

彼女は、本来は江戸の人でありたかったのだ。あるいは、江戸の人であったのだ。

しかし、現し身はこの現代にあり、江戸にゆけるのは心だけなのだ。(略)

本来自分が存在しているはずだった場所に、杉浦日向子は存在できなかったのだ。

彼女はたったひとり、現代に生きていた江戸の人だった。

そのひとり立つ悲しみが、おそらく作品に流れる悲しみだったのだ」

これは見事な杉浦作品の魂をとらえた文章である。

そうか、ひとり立つ悲しみ、だったのか。



兄雅也さんが、喉頭ガンで入院中の、死の5日前の妹の様子を書いている。

「最後の頃は筆談もできず、手で指し示して意志を伝えていましたが、本来の明るさを失わず、

刹那を楽しむ流儀も忘れませんでした。

 永眠する五日前の早朝、つけっぱなしにしていた病室のテレビで落語が始まると、

急に「見たい」と合図をよこしたんです。

ベッドを起こすと、途中でウトウトしながらも最後まで見て、満足気な顔でまた眠りについて。

”お江戸の先生”と観る最後の演目が、江戸前じゃなくて上方落語になるとは思わなかったけれど、

朝五時半の『蜘蛛駕籠(くもかご)』は、忘れられない一席になりました」

兄としては、「本来の明るさを失わず、刹那を楽しむ流儀も忘れませんでした」と書く気持ちは

よく分かるのだが、

ここにも杉浦日向子さんの「ぽつんと座った、はかなげな姿」が、そして、

さいごまで「ひとり立つ悲しみ」を持った江戸から来た人の姿がある。

しかし、その「悲しみ」が、不世出の才能となり、杉浦日向子の作品を残したのである。


つぎの写真は、フランスで翻訳出版された「二つ枕」のカバーである。

タイトルはフランス語で「うるしの枕」となっている。

いずれフランス、イタリアでも杉浦日向子ブームが起きるであろう。

イメージ 2