杉浦日向子アルバム(4)

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雑誌取材で撮った写真。

美人といわれたのも納得できる写真である。

マンガ家の南伸坊さんが「利発な女の子」という文章を寄稿している。

日向子さんの「ふしぎな雰囲気」について書いているので紹介する。

「杉浦さんは明るく活発なところもあったらしいけれども、病弱でいつでも

活動をともにするというわけにはいかなかった。

{略)

なにか杉浦さんには、妙な表現で、亡くなった今でこそ失礼にならないけれども、

うっすら「この世の人でない」ような印象があった」

南伸坊さんらしい「幽玄」な証言をしていて興味深い。

日向子さんの『百物語』23話「長持の中の話」で、女の子が長持に入って、どこか異次元に

連れ去られ、一年後にまた忽然と戻るという話の、その少女について、

「この女の子が日向子さん自身のような気がするのだ。

いくら時代考証の勉強をしたかもしれないが、どうもあんまり江戸に詳しすぎると思う。

ほんとうは長持をつかって、アッチからやってきたほんものなんじゃないのか?

杉浦さんは会って会話をかわしても、どこか現実感のうすい感じで、

お酒はのむようだったが、ほとんどものを食べない。

ソバが好きだといった、冗談の「ソ連」というあつまりもしていたと噂には聞いたけれども、

それをモリモリツルツル食べているところを、私は見たわけではない」


ものは食べないし、江戸に詳しすぎたり、この世の人でないような、はかない感じが

していたのは、杉浦日向子は『百物語』の世界からやってきていたからではないか、

南伸坊さんは哀惜をこめた証言をする。



事実彼女がとても霊感の強い人だったと、こちらもガンで亡くなった作家の中島梓さんが

証言している。

「杉浦さんは『自分の前世』もわかっているし、『前世で知り合った人と、今生でも

一人だけ会ったことがあります』とはなされるようなかたでした」



宗教学・文化人類学中沢新一さんと『百物語』をめぐって対談が雑誌「ユリイカ」に

収録されているが、その中でも、彼女は自分が少女時代から霊感がつよかったことを

語っている。

「杉浦:長屋生まれなんですよ。下町の二軒長屋で。ずいぶん空襲がひどかったらしくて、

    小学校が終わって帰ってくると、路地のところにモンペのおばさんが悲しそうに

    立っているのを見て…。空襲で死んだ人だと思うんですけれど。

    あれをたびたび見ていて、あ、こういう世界も普通にあるんだなと思いました。

 中沢:死ぬのって怖かったですか。

 杉浦:子供の時は怖かったですね。一日過ぎると、ああ一日命が減ったと思うんです」


わくわく亭も子供の頃、一日すぎると一日分だけ命が減ったと思って、夜も眠らないように

しようとしていたものだった。

杉浦さんは、さらにこう言う。


「杉浦:呼吸とすごく似ているなと最近思うんです。

    吸うのが生きていることで、吐くのが死に近づくことですけれど、

    当たり前なんですよね。

    吸ってばかりいたら苦しいじゃないですか。

    死もちゃんと享受してこそ、今の生があるんだろうなというのが、

    素直に分かる気がします」


この杉浦さんの死生観は、本で読んで知識として身についたものではない。

こどものころから、まわりの見聞から、自然と身についたもので、

昔で言えば「蒲柳の質」で身体がよわい体質で、霊感がつよかったから、

死についても考える少女だったのだ。


『百物語』はごく自然に彼女の感性が吐き出した世界で、彼女にはリアリティーがある

世界だった。

兄の鈴木雅也さんが妹の死生観を、つぎのように語っている。

「人間は病の容れ物。何かしら病があるのが当たり前で、それと引き換えに生きている――。

生老病死を春夏秋冬のように受け入れていた江戸人の死生観に、

自分を重ねるような文章が目立ちました」と。

杉浦日向子さんの『百物語』は、彼女の「春夏秋冬」の一部だったのである。

                 ☆つづく☆