杉浦日向子アルバム(1)
彼女は2005年7月22日に病没したが、この「ユリイカ」臨時増刊号が発行されたのは
2008年10月15日。その第三刷(2009年4月10日)を手に入れたもの。
彼女の実兄で写真家の鈴木雅也さんをはじめ、親しく接していた人たちの文章をあつめた
追悼号であるだけに、杉浦さんの素顔がよく見えて、ファンにとっては大切にしておきたい
一冊である。
写真のほとんどが兄の鈴木雅也さんが撮影したもので、どれも5つ下の妹への愛情が
にじむような作品ばかり。
その中から、何枚か紹介しながら、杉浦日向子という、その惜しまれた早世の才能を
改めてしのびたいと思う。
正しくないのではないか)
呉服屋というと裕福に思えるが、昭和33年ころの呉服屋はかならずしも商売繁盛ともいえなかった
ようで、兄雅也さんの「妹 順子」という文章によると、
彼女が生まれたところは「暗くて狭い長屋でした」という。
杉浦さんの祖父の代に京橋の呉服屋は順調な時代もあったのだろうが(彼女の酒豪ぶりは祖父の血を
受け継いだみたいである)、彼女の「きもの好き」について書いている澁谷知美さんによれば、
小学生の頃には財政困難のため小滝橋に引っ越している」
小滝橋というのは新宿区の高田の馬場の近く。
また、作家で江戸文化研究家の石川英輔さんは「日向子さんは、
京橋宝町で育った人」だといっている。
兄雅也さんは、
「学生の頃、私達の長屋の子供部屋は3ミリもないベニヤ板で区切られただけでした。
勉強などはせず、多くの趣味に没頭していた隣の兄の行動はすべて筒抜けのようでした」
と書いているが、それは小滝橋時代の、杉浦さんが言う「下町の二軒長屋」のことらしい。
マンガ家でマンガ評論家でもあるいしかわじゅんさんが寄稿した「江戸の人」という文の中で、
「杉浦家が貧乏だったのか金持ちだったのか、そう親しいつきあいがあった
わけでもないので知らない。でも、貧しく育てなかった両親も偉いのだが、貧しく
育たなかった日向子も偉い」と書いて、杉浦作品には「貧乏くささも、貧乏を恨む心根の
貧しさもない」「作品の貧しさは、必ずしも育ちにはよらない」と誉めている。
家業はふるわなくても、両親は雅也と順子を、とてもこころ豊かに育てたのである。
両親の愛情につつまれて育った証拠写真を見てみよう。
両親(右側)と伯母と写った日向子さん。(雅也さんが撮影)
襖の鯉のぼりは日向子さんが描いた。
彼女は眉と白ひげをつけている。
春の大雪に庭にかまくらを作った。
美人の母と愛犬と。9歳の日向子さん。
10歳の時、中野公会堂でバレエの発表会。
☆つづく☆