庭のダンゴムシから聞いた話

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庭の地面を這っていたダンゴムシが、振り仰いで言いました。


「なんのために生まれてきたのかわからない、生まれてきた意味がわからないだって?

なんのために生きるのかだって?」


あきれ顔をしてダンゴムシが言いました。


「そんな意味があってたまるものか。人間って、おろかな生き物なんだな。まるで無知だ」


ダンゴムシはごそごそうごめきながら、せわしげに言いました。


「生き物には、うまれたから生きる、生きたから死ぬ、このことがあるだけじゃないか。

ダンゴムシだけじゃない、ミツバチも、犬も猫も、鰯もクジラも、サクラもタンポポも、みんな

おなじだ。

そんな答えがあるわけもない疑問を持つ生き物は、人間だけだぞ。

うまれたから生きる。それだけのことを、何億年、何十億年くりかえしてきたのさ。

すこしの変異とか変化はあった。天地や宇宙だって、ゆるやかな変化や変異をしながら、

在ることをつづけている。

天地だって、なんのために在るのかなどと考えたりしないぞ。

命があるから、生きる。そのほかに、何があるというのさ。

なぜ生まれてきたのか、何故死ぬのか、そんな生死にどんな意味があるのか、だって?

天地に生命体が生まれてきたそもそもから、意味があって生まれてきたのじゃないぞ。、

生まれてきた、それだけのこと。それが全部だ。

もともと、意味がないことを訊ねても、ウソのこじつけの答えしかないだろう。

ないものはない。ないからといって、人間以外のあらゆる生物はこまりもしない。

生まれたから、生きる。それでいいではないか。

生まれたから、死ぬ。それでいいではないか。

それ以外に、何を欲しがるというのか。

人間だけは特別な、発達した脳をもつ生物だから、すべてに意味があるはずだと考えたとしたら

それは人間の身勝手な思い上がりというものさ。

人間はあさはかで、欲張りで、わがままな生き物だな。

ないものねだりはやめたがいいぞ」


ダンゴムシは丸くなったり、たくさんの足をごにょごにょ運動させたりしながら、続けて言いました。


「生きていれば、おいしい食べ物に出くわすことがあるし、虫の仲間がいて楽しいこともあるし、

子孫がふえれば安心で気持ちがいいよ。

それらに、変に意味をつけようとするなよ。ただちょっとした変化と変異の一例で、それだけの

ことなんだ。

人間には苦しみや悲しみや、生活苦や格差や苛めや、病苦や、そんな死にたくなるような

ことがあるから、生きる意味を考えるのだ、だって?

ダンゴムシには、たしかに人間のような感情や感覚はないがね、それだって、生命体なら

つきものの変異や変化の一種じゃないか。

四苦八苦が有るからといって、人間が特別えらい選ばれた生物だなどと、うぬぼれないでくれよ。

ダンゴムシも雨で死ぬこともあれば、鳥に食われることもある。

生まれて死ぬまで、そうした変化や変異を含めて、それらをまるごと生きるだけさ。

それ以上の何をのぞむというのだね。

それだけでは、わるいのかね。

うまれたから、生きる。

それが全部だよ」


ダンゴムシは触角を揺らしながら若草の下へ、這いこんでいきました。