石山淳詩集「邪悪な者」

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姫路の詩人石山淳さんから新詩集「邪悪なる者」をいただいた。

氏の8冊目の詩集です。

ことし75歳になると「あとがき」にある。

その75歳の詩人であればこそ書けるという作品を1篇紹介しよう。

この詩集の中で、僕が一番好きなものです。

すこし長いのですが。

                          揣摩憶測(しまおくそく)


        チョコレート色の阪急電車

        高架の「三宮駅」構内。

        男三人 女一人

        「現代詩」の歪みについて

        長く話し合ったせいか

        身体性精神性も高揚していて

        無論――

        レモンや梅干の

        チューハイの酔いが加担していた


        別れ際

        その人は

        思い出したように立ち止まり

        清らかな 沈思の

        微笑(えみ)で 引き返し

        静かに歩み寄ってきた


        自然体の

        心美の触手を差し伸べ

        余りチカラを加えない

        「片手同士」の

        軽い握手を交し合った

        そして しだいに

        力が感じられなくなり

        夜(ネオン)の街の余情を消していった

        ぼくは

        その人に 呟いていた

        「抱き締めたい感じ……」――。

         《リップサービスか、

          潜在意識が開花していたのだろう》

        その人は

        「何?」って聞き返してきた

        「聞こえてなきゃいい、」

        「冷たいって!」

        きっと 聞こえていたであろう

        意味不明の その言葉を

        裏返しにして 聞き返してきた

        分かっていて もう一度

        言って欲しい〈その振りに〉応えて

        その人にだけ聞こえる

        小さな声で

        「抱き締めたい……んだ――

         でも、ぼくの方が冷血動物だからね」

        心の中で棘を意識しつつ

        「酔い心」をつづけた


        それは

        いい女への讃辞

        「気分」の範疇だった

        「願望」や「欲求」ではあっても

        「欲望」とか「欲情」には到っていなかった

        「女を抱き締めたい――」そんな意味では勿論なかった

        「意志」とはとうぜん 別物だった

        その人の 美形は

        「相貌」から「精神回路」を徹して

        「脳髄」まで

        芯から かわいい人だった

        かわいい人らしかった


        「現代詩」は

        ときどき 部位を掠めたりもしたが

        掠り傷の「傷口」のようなものだった

        ベートーヴェン交響曲や

        ショパンピアノ曲のように

        人の心を奪い去ってしまうほどの

        美感の威力はなかった

        「音楽」はリズムで流れるが

        「詩」は自立しているので

        倒されたりしないのかもしれない

        とも思った


        また その時

        その人の意識の中にも

        ぼくの棘とは 異形の

        成熟した大人の

        棘の角が

        生えかかっていて

        今にも 伸び出そうとしている

        ようにも 思えた

        互いの心の揺れは見えても

        「真実」は

        闇に 隠して

        唯の 笑顔で別れた

        二十二時、手は振らなかった


        ぼくも

        その人も

        「老いの翳り」を宿して

        漂わせていた