弓場氏の『恋ヶ窪』評

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(写真は中元紀子さんの写真詩集『おのみち』から)



弓場敏嗣(ゆばとしつぐ・電気通信大学名誉教授)さんから『恋ヶ窪』の読後感想を

メールでいただいた。ここに転載させてもらいます。


弓場敏嗣
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■森岡久元・著:
「恋ヶ窪」、澪標、2009/10、261頁、1,600円
★★★

著者森岡久元は語る視座を自分におく。その意味で、彼の書く小説は私小説の範疇なのだろう。

本短編集に描かれた世界は、ほとんど実体験に基づくと思われる。然るべく齢を重ねて、

著者の書く小説は進化している。内容の深さと表現の軽妙さのバランスがよい。


「恋ヶ窪」では、老齢の人間のよみがえる恋情を、肯定的にかつ抑制をきかせて描いて見せる。

江戸文芸に興味をもつ主人公北山は、<恋をしない女性>汐見洋子に恋心をいだく。

「こころが感情のために揺らぐのが怖くて、最初に誘われた男(夫)と高板飛び込みするみたいに、

エイヤッと一緒になった」という。しかし、洋子は北山に心を惹かれながらも、

「胸の中にわだかまりを抱えて生きていくのに弱いので、孫を相手にうきうきと暮らしていく」

という台詞を残して去っていく。美しくも儚くおわる大人の恋愛小説である。



「神楽坂百草会」は、1日に100本のタバコを吸うヘビースモーカーの会<百草会>に

まつわる夢譚である。喫煙100万本達成の瞬間を百草会で祝う。

そのとき、社長の鼻から黒い液体が流れ出る。かるく咳をするたびに、

口腔からも黒い液体があふれる。後頭部の髪の下からも白煙がわきだし、

歩いた後には白煙が揺曳している。これは<解脱>の現場であり、虚しさという煩悩を肉体

から100万本のタバコが抜き取った証という描写がなされる。

この辺りの表現は風流夢譚的で、タバコのもたらす究極の姿として面白い。

「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い、赤い実をたべた」という北原白秋の童謡にまつわる話が

間奏として語られる。その単純すぎる問答に、優しさに満ちた嘘を感じ、

涙がとまらない理由を主人公は考える。

評者の私見では、これは無限の行程を有限の手段で表現する<不思議の環>がもたらすものである。

M.C. Escherは<不思議の環>の概念を美しく視覚化した。

リトグラフ「上昇と下降」では、修道士たちがおなじ階段を一方は上り、他方は下り続ける。

この絵を見ていると、生きながらえる人間の存在の悲しみを感じる。



「鹿児島おはら祭り」では、鹿児島県大口に住む友人夫婦の愛が語られる。

地図で調べると、大口市は九州中央部の盆地にある。

「日本一、星空がきれいな町」ということがうりらしい。

絵や彫刻の才能にもめぐまれた職場の元先輩は、癌を患い入院中である。

死期をむかえて、「一人の男が短い生涯で、何か一つなりとも未完ではなく、

成し遂げることができるとしたら、一人の女にめぐりあって結ばれる、

それしかないのではないか」と自分の夫婦愛を語る。

おはら祭りを背景として、「おはら節」編曲の中山晋平にまつわる

男女の愛のかたちが織り込まれている。

自閉症児の筆談記録の挿話も美しい。

2010年1月26日