『夕凪の街 桜の国』こうの史代
駅前書店の2階はコミックス売り場である。
昨日の散歩の途中で立ち寄って、モスバーガーでコーヒーを飲みながら読むマンガを
なにか1冊買おうとして、この『夕凪の街 桜の国』を選んだ。
悲喜劇を読んだために、マンガは深夜の読書タイムになった。
この作品は2005年の第9回手塚治虫文化大賞新生賞を受賞しているから、その
名前は知っていた。
であり、後者については、このブログの2007年6月1日に論評している。
物語は「夕凪の街」と「桜の国(1)(2)」の2部構成。
「夕凪の街」は昭和30年の広島の日常生活を描いている。
皆実という若い娘が、病身の母親と2人だけで、つましく暮らしている。
戦後まだ十年で、家はあばら屋で、雨漏りがすれば、彼女が自分で屋根にあがって修理する。
広島市内の小さな事務所に勤務しているが、通勤にはいているクツは、帰宅途中で脱いで
裸足で帰ってくるのは、クツが傷まないように、なが~く履くためである。
脱いだクツを手に持って、当時の流行歌春日八郎の「お富さん」を口ずさみながら帰る。
皆実の父は原子爆弾で死んでいる。姉妹も死んでいる。
ふたりは「あの日」のことは触れないで、平和に静かな日々を生きている。
皆実の職場の同僚といつしかほのかな恋仲になっている。
そんなある日、彼が橋のたもとで皆実の肩を抱く。唇を合わせようとしたとたん、
皆実が記憶の底の底に、なかったことのように押し隠していた、この橋と川で
10年前のあの日に出遭ったシーンがよみがえる。
「ごめんなさい」と彼女は逃げるように走り去る。
それからまもなく、彼女は原爆症を発病し、死んでしまう。
彼女はさいごの意識の中で、
「ひどいなあ。てっきりわたしは、死なずにすんだ人かと思ったのに。
ああ風……夕凪が終わったんかねえ」とつぶやきながら。
上述した原爆投下の日に、皆実が被爆した日に目撃した橋の場面が
この作品で唯一悲惨な絵なのである。
ページをめくってきて、彼女の日常の中から突然出現したと同様に、突然この絵が
現れて、わくわく亭は涙が溢れてならなかった。
ページをめくり、また戻って、このシ-ンを見ると、またしても涙が溢れる。
芸術祭大賞をダブル受賞するだけの力作です。
作者のこうの史代さんは1968年広島生まれ。
戦争も、原子爆弾も知らない戦後世代である。
「あとがき」で「原爆にかんするものは避け続けてきた」と語る。
「怖いという事だけ知っているばいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であると
思っていた。東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について
本当は知らないのだという事にも、だんだん気づいていました」
「原爆と聞けば逃げ回ってばかりだったわたしがいちばん知りたかった事を、描こうとしました」
原爆を体験しなかった世代でも、原爆を描くことには大きな精神的な抵抗がある。
その悲劇の大きさに打ちのめされて、目を向けていることが出来なくなるからです。
それまでは、こうの史代さんのように「原爆にかんするものは避け続けてきた」のです。
三宅一生のような実力も名声も確立したデザイナーにしても原爆は乗り越えられない
トラウマなのです。
あの打撃の神様のような張本さんにしても、大きなトラウマなのです。
原爆とは無縁に近かったのですが、それでも「原爆にかんするものは避けて」という気持ちは
とてもよく分かります。
上にUPした一枚の絵で、これだけ涙がながれるとは、わくわく亭にとっても
意識になかったけれどトラウマになっていたと言えるのかも知れません。
『桜の国』は広島から疎開していたために家族で只一人原爆を免れることができた
皆実の弟が、被爆者女性と結婚し、東京で暮らして娘と息子をもうける。
その娘七波を主人公にした物語。
彼女の母親はすでに亡くなっている。祖母も亡くなっている。
ボケ始めた父親が長距離バスでどこかへ行こうとしているのを、こっそり追跡する。
行き先は広島だった。
父は彼の姉である皆実の知人達をたずねて、姉のことを聞いて歩いていたのだった。
七波は父親と被爆者で早世した母とが結ばれて、自分がこの世に生をうけた運命を
「そして確かに、このふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」とうけとめる。
その独白の桜のシーンが美しい。