はじまりは森鴎外

 僕の江戸文人好きは森鴎外歴史小説、なかでも漢文や漢詩がいっぱいで読みづらい史伝ものに分類
される作品からはじまったものです。
渋江抽斎」「阿部一族」「伊沢蘭軒」などです。

伊沢蘭軒」などは、部厚い漢和辞典なしでは1ページも読めません。

 ところが、毎日数ページづつ読みすすんで行くうちに文体に慣れてきて、難解な文語体が心地よくなるのです。
 鴎外に私淑した永井荷風にも「下谷叢話」(したやそうわ)という鴎外風の史伝があります。 
 あるいは幕末明治の文人成島柳北の「柳橋新誌」などを読んで、ますます史伝的文体に惹かれるのでした。

 一般に書かれている時代小説や歴史小説とは異なって、歴史的事実にこだわって、フィクションは限りなく少なく、当時の手紙、文章がそのまま挿入される。
 読むのは大変ですが、はまると、自分が江戸人か明治人間になったかのような面白さを体験できます。
 
 ついに、僕は自分で書きたくなりました。
 それが、大田南畝の伝記的小説です。

 「南畝の恋」をはじめとして3冊書きました。
 
 柳亭種彦の若い日を書いた「愛雀軒日記抄」があります。
 南畝の最終章「文政六年の花の雲」があります。
 これらは雑誌に発表しましたが、まだ本にはなっておりません。

 いま資料を整理しているものとして、ハイティーンの頼山陽(らいさんよう)の広島から江戸までの初旅日記。
 儒者の松崎慊堂(まつざきこうどう)がいかに渡辺崋山の救命活動をしたかを、そのお妾さんや女たちとの日常の有様の中に書きたいと、ノートをとりながら、準備中です。

 現代小説を書くのと違い、資料を集め、読み、ノートをつくり、それから作品として書き始めるわけで、準備に数ヶ月が必要になります。ですが、そうした時間がまたたのしいものでもあります。

「南畝の恋」ほか3冊の南畝ものを書くのに、そうした準備期間をくわえると、かれこれ15年かけてきたことになりますが、ふりかえってみても、意味のある、たのしい15年でした。