モノの値段
モノの値段は、なにによって決定されるのか。
もちろん需給のバランスで、その時点における適正価格がきめられる。
ほとんどは、そうやって売れる値段がつけられる。
モノにはモノの本来持っている価値がある。その価値にふさわしい値段と言う付け方もある。
原価があり、利益が乗っかり、売値がつく。
それが需給のバランスで修正されて、値段が付けられる。
まず、もっともらしく書くためには、この程度のことは言っておこう。
しかし、あまりに値段が違いすぎると、まてよ、モノの値段とは何なのか、と元に
もどって考えてしまう。
写真は、きのう買った老眼鏡。
毎日新聞をコンビニで買った。
うっかりして、リュックに老眼鏡を入れるのを忘れてきた。
コーヒーショップ(ここで新聞を読むつもり)から数軒先にある「百円ショップ」で
老眼鏡を買った。105円なり(5円は消費税)。
この店で老眼鏡を買うのは2度目だった。
読むのに、このメガネは十分役に立った。
老眼鏡が必要になって、女房のよく知っているという眼鏡屋さんで、はじめて
検眼して買ったとき、あれから3年くらいになるが、3万いくらした。
仕事場に持って行くのを忘れたとき、近くのメガネスーパーで買った。
3,500円だった。
「老眼鏡だったら、機能的にも、レンズの品質的にも、これくらいで十分です」と
教えられた。
銀行や、郵便局にいくと、《ご自由にお使いください》と老眼鏡が置いてある。
そうか、この程度のモノなら、どこにおいても大したコストにならないな、と思った。
こんどは、電車などで移動中、必要に感じて、また買った。
3,000円だった。
眼鏡屋さんが「老眼鏡は、5~10個も買って、あちこちに置いておく人が多いですよ」
と教えてくれた。
そして、こんどは100円の老眼鏡である。
なんら機能上不都合はなさそうだ。
30,000円から3,000円、そして100円。
有名ブランド品を買ったわけでもないのに、この価格差はなんとしたことか。
中国製とか韓国製らしいけれど、このギャップの大きさには、
常識的なモノの値段の意味を超えてしまう要素がありそうだ。
と、まあ、わくわく亭が柄にもなく、もっともらしいブログを書くのに使っている
老眼鏡は3万円のやつである。
理由は、やはり3万円のは、それだけ眼にやさしいのではないか、という
思い込みがあるから?