冥途

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台風9号がゲリラ豪雨の被害を各地に与えて、東に去ってから、今週はようやく8月らしい

猛暑となっている。

お盆休みの週である。

夕方、陽が落ちて散歩にでかけているが、リュックに何か読むものをいれてゆく。

お盆らしい文庫本、内田百閒の短編集『冥途』である。

「冥途」は文庫にして4ページという超短編

作者が見た夢の話である。

暗い土手下のめし屋で、四、五人の一団と一緒になる。

その中の一人が、五十余りの男で、どうやら私(作者)の父親らしい。

彼がこう言う。

「提灯をともして、お迎えをたてるという云う程でもなし」

お盆にあの世から戻ってきたのに、盆提灯に灯をいれてお迎えをしてくれてもいない、と

私への不満をいっているようすである。

そして「まあ仕方がない。あんなになるのも、こちらの所為だ」と自分の育て方の所為だと

愚痴をいっている。

私は悲しくなって、涙をながす。

彼らは、あの世へ戻る乗り物をまっているらしい。

ときどき土手の上を透る物があるが、それらしい。

昔、男がつかまえてガラスの筒に入れた蜂の話をする。子供がくれくれと欲しがるのに、

庭石にぶつけて割ってしまい、蜂を逃がしてしまった話をする。

「お父様」と私は泣きながら呼ぶ。

しかし、その声は、むこうにきこえないまま、彼らは土手に上っていってしまう。

黒い土手の腹に、私の姿がカンテラの光のかげになって大きく映っている。

私はその影を眺めながら、長い間泣いていた。(略)


このショートストーリーを漱石山房では百閒の後輩にあたる芥川龍之介が激賞した。

「この頃内田百閒氏の「冥途」と云う小品を読んだ。漱石先生の「夢十夜」のように、

夢に仮托した話ではない。見た儘に書いた夢の話である。出来は六篇の小品中、「冥途」

が最も見事である。たった三頁ばかりの小品だが、あの中には西洋じみない、きもちの好い

Pathosが流れている。(略)

「冥途」一巻、他人の廡下に立たざる特色あり。然れども不幸にも出版後、あまねく世に

行われず。僕の遺憾とする所なり。(略)

天下書肆皆新作家の新作品を市に出さんとする時に当り、内田百閒氏を顧みざるは何故ぞや。

これを読んだときの内田百閒は、どんなに感激したことだろうか。

現代において、作家が他の作家の作品をここまで激賞し、作品が世に行われない理不尽を

ここまで声を高くして「遺憾」とする場面があるだろうか。


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この写真は駅に近い横道にあるわくわく亭お気に入りのモスバーガーの店内である。

いつ行っても、お客が少ないのは、経営者には気の毒ながら、わくわく亭にはどこよりも

気楽に小説や雑誌が読める場所なのである。

屋外が30数度の熱暑の日に、ほどよい室温にエアコンがきいていて、うまいコーヒーと

快い音量のBGMをサービスしてくれる。何時間座っていても、気を遣うことがない

雰囲気なのもいい。いわば、わくわく亭にとって、近頃ここは大泉学園の楽園ともいえる。


「冥途」を読んで、仏教世界で伝えられる冥界とか三途の川とか、浄土教が教える

極楽浄土などについて、ぼんやりと思いをめぐらしていると、

持ってきた新聞にこの古代エジプトの「冥界へ死者を運ぶ葬送船」の写真があった。

仏教界でいえば、三途の川を渡す船にあたるだろう。

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写真に付された説明である。

ナイル川が唯一の交通手段だった古代エジプト人たちにとって、冥界へ死者を

運ぶ手段も船だった。死者に住む場所「イアル野」も、ナイル川流域のエジプトと

同じ風景と考えられていたようだ」

日本人にとって死者の住む場所とはどんな風景であろうか。

本居宣長は、死者の住んでいた町から近い山の上だと信じていた。

浄土教が教える浄土の風景は、浄土三部教にくわしいが、わくわく亭が好きなのは、

川が流れていて、水は冷たくもなく心地よく、流れに浸っていると、馨しいい花びらが無数に

天上から降りそそいでおり、美しい色彩の鳥が歌っているという風景である。