しました。いわゆる「諸般の事情」というやつです。
人形町1丁目で、すぐ隣に老舗の
洋食店、そしてその隣に、ごらんの史跡プレートがあります。
潤一郎の三人目で、最後の夫人だった松子さんの筆です。
中層ビルのガレージの壁にはめこまれています。
ガレ-ジの上の中二階にはレストランがあり、その名が《谷崎》となっています。
レストランが谷崎家となにかつながりがあるのか、なにもないのか、まだ新参ものの
わくわく亭は知りません。
教育委員会の説明では、潤一郎は明治19年、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で
生まれたということです。