『百年の誤読』(2)
第一章 1900~1910年の話題本、ベストセラー
『不如帰』 徳富蘆花
『みだれ髪』与謝野晶子
○『武蔵野』 国木田独歩
『神秘的半獣主義』岩野泡鳴
○『春昼』泉鏡花
○『蒲団』田山花袋
○『それから』夏目漱石
蘆花の『不如帰』は新派の劇や映画などで有名すぎて読む気がしなかった。
蘆花の本としては『思出の記』『自然と人生』『寄生木』を読んだ。
『みだれ髪』は逆に有名な歌だけを覚えたために、歌集としては読まなかった。
『みだれ髪』は逆に有名な歌だけを覚えたために、歌集としては読まなかった。
岩野泡鳴は好きな作家で、『耽溺』『泡鳴五部作』など小説はほとんど学生時代に読んだが、
上の本は彼の芸術論なので読まなかった。
○印をつけた読んだ本のなかでは、『金色夜叉』はずば抜けて面白かった。
これも映画、芝居になっているが、小説が一番面白い。
書評する2人の評価が高いのは鏡花の『春昼』と漱石の『それから』となるのは
妥当なところです。
第二章 1911~1920年
『土』長塚節
○『三太郎の日記』阿部次郎
◎『澁江抽斎』森鴎外
○『城の崎にて』志賀直哉
○『田園の憂鬱』佐藤春夫
○『友情』武者小路実篤
このあたりの本は文学青年たちならば、読んでおかなければ、お話にならない作品ばかりだった。
書評家の2人は『澁江抽斎』は「苦手だなあとかねがね思っておりましたが、やっぱり僕は弱かった」
とか「実は、わたしも駄目だったんです」と、苦手だったよう。
『三太郎の日記』は「タカビー」「いやらしい逆エリート意識」の本だとさんざんの悪評。
僕も面白くなくて、いつか捨てた本です。
志賀直哉の『城の崎にて』は「ほんとうに巧いの?」「なぜ小説の神さまと呼ばれたか、謎なんです」
という「正直」な疑問。僕もときどき短編を読み返したりするけれど、「巧い」なあ、と
感じるのは観察力を文章に置き換える筆力です。しかし志賀直哉の短編は「小説」というより「写生文」
なので短編小説の面白さはないですね。
(3)へつづく