『百年の誤読』(3)
『百年の誤読』は明治から近年までに話題となった本や当時ベストセラーとなった本を、2人の
書評家が読み直して、いまも読むに値する本であるかどうか、読みそびれた人は後悔することなく
読まなくて正解だったとか、ズケズケ、ずばり、本音で評価をつける対談である。
第三章 1921~1930年
○『冥途』内田百間
○『赤い蝋燭と人魚』小川未明
○『地上』島田清次郎
『何が彼女をそうさせたか』藤森成吉
○『放浪記』林芙美子
このあたりの本は高校時代に読んだ本が多い。ほとんど読んでいるので○がついている。
◎をどれかにつけるとすれば、『放浪記』
につけたい。貧しさに立ち向かう勇気をもとめ、作家になりたいと夢を抱く若者には、現代に
おいても力を与えられる本である。
2人の論評は歯に衣を着せないから、次のような調子である。
「相当脳天気で天真爛漫な調子が強い作家だと思うんです。田舎者の図々しさみたいなものも
感じられるし」「荒々しくて非常識」「文体も小説というよりは、エッセイのそれなわけだし」
「何ももらえないことがわかるとクソミソに言うんだ(笑)」
田舎者の図々しさ、は間違いなく林芙美子の生き方のベースにあるね。
わくわく亭も尾道出身だけに、それはわかります。(爆)
『風々院風々風々居士』からの引用をします。
森まゆみ:林芙美子なんかも読まれなくなりましたね。全集も手に入らない。岡本かの子も (ちくま)文庫で全集を出したら全然売れなかったんですって。 山田:誰も残らないね。そうしてみると(笑)。百年経っても残ってるのは漱石と吉川英治と いうのがぼくの持論なんだが。(略) 森: 漱石は『吾輩は猫である』と『坊っちゃん』があるから、じゃないかなあ。 山田:誰かが漱石は最初に『明暗』を書いて、晩年に『吾輩は猫である』を書けばよかったって。 ぼくもそう思うところはある。
『地上』を読んだことのない人は多いと思う。どこの文庫にも入ってないし、いわば文壇から
抹殺された作家だから。弱冠20歳で、自分の体験をありのままに書いて、いまの村上春樹本
くらいに売れに売れた本が『地上』だった。
偶然古本で買って読んだのが、学生のころだったが、ショックを感じたほどに面白い本だった。
買ったとき、すでに落丁しそうなくらいのボロ本だった。
わくわく亭が読み終えたとたん、ばらばらになってしまった。
《著者の中学校生活、破れた初恋、母と共に娼家の裏座敷に住んだ経験、ある実業家に助けられて
東京に遊学した次第、その実業家の妾との深い交わりなど、悉く著者の“貧乏”という
立場から書かれた、反抗と感激と発憤との記録》と紹介される。
現代でいえば、歌手の尾崎豊のような存在だったと言ってもいいかな。
結局、島田清次郎はスキャンダルで文壇を追放されるような憂き目に遭い、精神を病んで、31の
若さで狂死した。
どこからか、復刊しないかな、『地上』を。