坂本龍一さんの「幸福論」から

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毎日新聞の夕刊特集「新・幸福論」に、音楽家坂本龍一さんのインタビュー記事があり、

好きなもの・嫌いなものの回答がおもしろいので、要約して紹介する。

――好きなものは?

  楽器はピアノ、色は緑。ゴビ砂漠に行ったことがあって、自分の目が緑を探していることに

  気がついた。緑があるってことは水があることでしょ。自分にそういう能力があるって、驚き

  だった。

  ネコ。納豆とご飯。

  秋。一日の時間では夕方が好き。お酒が飲めるから。


――嫌いなものは?

  「癒やす」という言葉。僕は音楽で誰かを癒やそうと考えたことはない。

  「がんばれ」も嫌だね。がんばれとは「我を張れ」ということ。人にがんばれと言うのは間違って

  いるよ。

  最近、若い女性に「クリエーターの先輩として、私たち若い世代の背中を押してください」と

  言われて、きれた。

  先人をなぎ倒しながら新しいことをやっていくのが若者の特権じゃないか。おやじ世代の

  おれたちに「背中を押して」なんて、ふがいない。

  (わくわく亭も「背中を押してもらった」とかいう言い方は嫌い。「甘えるな」という気が

  するんだ。「勇気をもらいました」という言い方も、嫌い。もっと自分流の表現があるだろう。

  「背中を押してもらった」も「勇気をもらった」「元気をもらった」も陳腐で中味がなにもない。

  まるで標語みたいな言葉で、それを言っている人の「姿」が見えない。

  そういわれて坂本さんが、「内容のある言葉で語れよ」と言いたくなって、キレたのもごもっとも)


  スポーツ選手が「勇気を与えるような試合をしたい」というのも許し難い。

  勇気や元気を人に「与える」なんて感覚、僕が知っている日本人はそんなに不遜ではなかった。

  どうしてそんな日本人になったのか、恥ずかしい。

  (たしか、わくわく亭が好きなイチロー選手も、最近WBCの関連インタビューで、そんな

  言葉を使っていた。ファンやマスコミが「あなたのプレーで勇気をもらった」などと言うもの

  だから、つい、日頃は言葉にうるさいイチロー選手までが、イージーに「勇気を与えるようなプレー

  をしたい」と口がすべったかしたのだろう)


――死について

  最近、どうやって死ぬかを考える。

  米国の土は乾いて白い。僕はあの土が嫌いなんだよ。

  日本の黒々とした豊かな土壌に埋められて、微生物分解されて、次の生命の糧となるというのが

  理想だね。


坂本龍一さんは、重厚で古風なものを持っている音楽家ではないか、と思っていたが、はたして

その通りのようである。