杉浦日向子の「井上安治」
杉浦日向子さん(1958~2005)の没後、まもなく4年になる。
彼女の代表作は『百日紅』であり『百物語』の長編、連作であるが、小品にもうれしくなるような
逸品がある。
この『YASUJI東京』もそうした作品である。
YASUJIとは明治期の風景画家である井上安治のこと。
彼の短い半生と作品とを、杉浦日向子さんの分身のような現代の東京に生きる美少女が
彼女のノーテンキな巨漢のボーイフレンドとともに語るというマンガ。
安治は明治11年14歳で、小林清親に入門する。
そして、わずか25歳で病没。夭折の画家である。
生活苦で、母親をつれて再び江戸へ、といってもそこは明治政府による「東京」だった。
東京で絵師となり、最後の浮世絵師といわれるようになる。
清親は190センチもある大男で、マンガの少女のボーイフレンドが大男に描かれているのは
清親をイメージしている。
1988年の小説『東京新大橋雨中図』から得た。
その小説で杉本さんは直木賞を受賞している。
木訥で、人にやさしく、我慢強い職人肌。「気はやさしくて力もち」というタイプ。
画風は、まるで江戸の印象派とでもいうか、空気や光線を描こうとする叙情的な、哀愁のある
風景画。
ここで清親の絵を2枚UPする。
「東京新大橋雨中図」と「両国雪中 元両国広小路」である。
清親の作品には、江戸への郷愁がある。新時代の東京を描きながら江戸浮世絵の記憶がある。
しかし、井上安治の絵にはそうしたウエットな感情がない。
今現在の東京風景を、感情移入なしで、クールに描いている。
つぎの2枚は安治の「隅田川夜景」と「枕橋」である。
どちらも絵葉書サイズの作品である。
もちろん評価は過去も、現在も師匠の清親が上である。
杉浦日向子さんは、マンガの中に、たくさんの清親、安治の風景画の略画をいれながら、
作品評とあわせて、安治の人物像をさぐろうとしている。
彼女は安治の絵には、「画者が見えない」といい、安治はみつけにくい。
そして、安治の絵は、
「安治の網膜に映った風景。たしかにこれは絵ではない。まして写真でもない。
百年の時を貫き東京が見える。
――窓だ」
と結論づける。
江戸を本籍地にしている杉浦さんとしては、清親と安治は、ほとんど兄妹の関係に
あっただろう。
つまり、この本は、兄たちの足跡をさがしている妹のはなしなのである。
杉浦日向子さんには『江戸アルキ帖』という江戸風景のスケッチ1枚に1ページの説明文をつけた
しゃれた本がある。